クレモナ閉店 Ⅱ

昨日は気温が急上昇し、オジサン家の近くの桜も開花しましたが、皆さんお住まいの地域はいかがでしょうか?

おはようございます。

昨日は良い天気だったのに、昨夜辺りから雨風が強くなり、今日のテニスは中止。朝からレコードを聴いています。

松本にて

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上記記事の通り、松本に有るクラシック専門のレコード店『クレモナ』が閉店との事で、3月23~24日松本に行って来ました。松本は昨年夏以来でしたが、年々街の様子は様変わりし、オジサンが住んでいた30年以上前とは道路も、街並みも変わってしまいました。あったはずの花屋さんが無くなっていたり、喫茶店の雰囲気は一変してしまっていたり・・・「街は生きているんだなぁ」とつくずく感じた次第です。

さてクレモナに行ったのは2月23日の午後で、平日の午後とあってお客さんは殆どなく、店主の金森氏と2時間以上ゆっくり話をして来ました。相変わらずの優しい笑顔と豊富な知識で、楽しい時間を持つ事が出来ました。

金森氏によれば「レコード産業は斜陽産業」との事で、CDの生産枚数等は年々下降を示し、その分配信が増えているとの事でした。

音楽の聴き方(特に決まりはないので大きなお世話ですが)も様変わりし、最近の傾向としてはイヤホン、ヘッドホンで「ながら聴き(何かをしながら聴く)」をする方が増え、スピーカーを目の前にして聴く人は本当に少なくなったとの事です。

確かに音楽の聴き方にルールが有る訳では無いので、そのような聴き方を否定するつもりは有りません。しかし、音楽は楽曲は勿論ですが、雰囲気と言うのも大切な要素で、特にアコースティック系の楽曲は音の広がりや響きも音楽にとって重要な要素になるとオジサンは考えています。果たして頭の中心で音像を結ぶようなイヤホンやヘッドホンでは本当の音楽の楽しみを味わう事が出来るのでしょうか?疑問です。

オジサンも出張時などはDAPを胸に忍ばせ、イヤホンで音楽を聴いていましたが、これは「音楽を楽しむ」より、周囲の雑音をカットする目的の方が強かったと思います。出張から家に帰り、スピーカーを通して音楽を聴いた時、本当にホッとしたものです。

まぁイヤホンやヘッドホンで聞く程度なら、配信された音源でも十分楽しむ事は出来ると思います。なにも家でスピーカーの前でジッとして時間を過ごす必要も無くなっているのでしょう。またその時間に価値を見出す人も少なくなっているのだと思います。

レコードの良し悪し

以前このブログでも書いた通り、オーディオから最終的に出てくる音を決定するモノ、それはソース(レコード又はCD等)だとオジサンは考えています。どれほど素晴らしい(高価と言う意味ではない)部品を揃え、素晴らしい部屋で鳴らしたとしても入り口であるソースが良くなければ最終的に出て来る音が良くなることは有りません。

クラシックの場合、Jazzと異なり、元の楽曲に演奏家が手を加える事はそれ程多くは有りませんが、やはり演奏家によって微妙に解釈が異なる場合が有ります。特にバッハ、モーツァルトの楽曲はそれ程様々な指定が多く書かれている訳では無いので、そこに演奏家の考えが入り込む場合が多々有ります。ですから同じ曲を異なる演奏家で聴きたくなる訳です。以前亡くなった従弟(ピアニスト)が言っていました。「モーツァルトとバッハは楽譜通り演奏したらつまらない」と。「そこ(演奏)に弾き手の感性が入り込むので、演奏家の技量(感性)がモロに表れてしまい、怖い」とも言っていました。

我々が一枚の(一曲の)楽曲に接する場合、以下の条件が揃ったモノを良しとするのではないでしょうか?

①好きな楽曲である事

②好きな演奏である事

③録音が素晴らしい事

④カッティングなどが素晴らしい事

レコードの場合、一枚のレコードが完成し我々リスナーの手元に届くまでに本当の多くの方々の手を経ています。録音前に「誰に演奏させるか」(プロデューサー)に始まり、録音会場、録音技師(マイク選定、録音機材等々)に始まり、最終的にレコードにカッティングする時の技術者の技量、レコードの材質まで、本当に多くの人が関わって一枚のレコードが出来ます。CDでも配信でも一部が異なるだけで、それは同じ事だと思います。

レコードの場合それが顕著に現れます。特にカッティングに付いてはその差が歴然と現れます。同じレーベル(レコード会社)でもプロデューサー、録音技師、録音機器、カッティングマシン、製造工場等が異なれば全く違う音質になる事は必定です。

これらの点に付いて金森氏とオジサンは意見が一致しています。しかし、更に言うならどれほど素晴らしいレコードでもそれを再生する装置がまずければやはり己が目指す音が出ない事も確かです。ですからオジサン達オーディオ・音楽ファン(マニアではない!)は血道を揚げて良いレコードを探し、オーディオをいじり続け、己が目指す音質を追求しているのです。

纏めます。「良いソースでなければ、良い音質は得られません」最終的に音質を決めるのはソースです。

『クレモナ』が閉店になる要因の一つとして、スピーカーを前にして音楽を聴く人が少なくなった事が一つの原因となった事は寂しい限りですが、これも時代の流れと思います。「諸行無常」と思うしか有りません。

高価過ぎるオーディオ

レコード産業と同時にオーディオも「斜陽産業」と成ってしまいましたねぇ。1982年、CD発売と同時にアナログ系の部品は殆ど売り上げを失い、いま生き残っているアナログ系の部品は非常に高価で一般サラリーマンや学生さんには手が出せない程高嶺の花になってしまいました。

これも金森氏とオジサンの意見が合致した部分です。カートリッジ一つウン十万円、プレイヤー一台ウン十万円ではとてもじゃないが一般人には手が出ません。オーディオ雑誌で取り上げられるのはとても一般人とは掛け離れたような高価な装置を揃え、悦に入っている人たちばかりで、そんな雑誌を見ても何の参考にもなりません。

「ちょっと頑張れば憧れの部品が買える」・・・こう思わせる事が企業にとって大事だと思うのですが、「どうあがいても手が出ない」装置ばかりでは、誰も購買意欲を持てませんねぇ。

今、市場に有るのはどう見てもまともな音が出そうもないチープな造り(安物と言う意味ではない)かとても手が出せないような超高級品(良い音がするとは限らない)ばかりです。これではオーディオ産業が斜陽になっても仕方が無いと思います。

そしてそんなバカ高い高級オーディオでなければ「音楽が聴けない」と囃し立てる評論家も多いです。「あほか!」と言いたくなります。

最後は愚痴になってしまいましたが、1970年代、オーディオ華やかかりし時代には個性的なしかも頑張れば手が届く製品が多かったと思います。その時代を懐かしむオジサンも歳を取ったと言う事でしょうか・・・。