信州小布施・北斎館

残暑厳しき折、皆さんお元気にお過ごしでしょうか?

こんばんは、オジサンです。

子供達の夏休みも終わり、朝の通学風景が戻って来ました。オジサンも遅いお盆休みを生きているうちに一度は訪れたいと思っていた信州小布施の「北斎館」に行って来ました。

若い頃は浮世絵に興味など無かったのですが、50歳を過ぎて静岡県の由比にある「広重美術館」を訪れて以降、浮世絵に興味を持つようになりました。何と言ってもその緻密な画と色彩に魅了されたのです。歌川広重と言えば「東海道五十三次」が有名ですが、オジサンは中でも「蒲原 夜の雪」が好きで、何度か広重美術館に足を運びました。

その後、葛飾北斎にも興味を持ち、某NHKの特集などは何度か見た事が有ります。北斎と言えば「富岳 三十六景」が有名で、特に「神奈川沖裏浪」が好きで、携帯にシールも貼っています。

以前信州松本に住んでいた頃、小布施の近く(中野市須坂市など)へは行っていたのですが、小布施の北斎館は行った事が有りませんでした。北斎館の開館が1976年との事ですので、オジサンが住んでいた頃(40年近く前)には既に有ったはずです。

オジサンの住む町から信州小布施まで、距離にして約300Km 強、時間にして約4時間強ですが、途中の休憩を入れて10時出発、14:30着でした。

地元を出て最初に休憩した(休憩はこの1回)のが中央道に有る八ヶ岳SAです。オジサンはココの「かけ蕎麦」が好きで、信州に行く時は必ずここで休憩をして「かけ蕎麦」を食べます。例え腹が一杯でも食べます。この日は天気があまり良くなく、雨こそ降っていなかったものの八ヶ岳は雲の中で全く見る事は出来ませんでした。残ね~ん!

これが「かけ蕎麦」ですが、奥さんが注文した「舞茸天ぷら蕎麦」の舞茸のかけらが入っています。なんの変哲もない駅そば風の蕎麦ですが、ツユの味が良いと言うか、何とも美味なのです。

ところで皆さん、舞茸の名の由来をご存知でしょうか?

山にキノコ狩りに行った人がこのキノコを見付けると舞うように喜ぶのでその名が付いたと言うのが通説ですが、他の説には「このキノコを見付けた人が、里に帰って他の人に「まいったけぇ~」と自慢した」と言う説も有るようです。ホントかウソか、その真偽は分かりませんが・・・・。

この時既に12時を過ぎていましたので、蕎麦を掻き込んでそれほど長く休憩を取らずに小布施に向けて出発しました。北斎館の閉館時間が17:00、見るのに要する時間を1.5時間と見積もると15時頃には小布施に着いておきたかったのです。

その後の行程は順調に進み、北斎館には14:30過ぎに無事到着しました。

小布施SAのスマートICで降り、車で10分程で北斎館の駐車場に到着です。北斎館には有料の駐車場が併設されていて、平日だった事もあり、駐車場はオジサン達の他3台しかいませんでした。3時間400円と言うのは北斎館を見学した後、小布施の町をぶらつく時間も取れるので良心的だと思いました。

会館内の撮影は自由と言う事でしたが、余りの素晴らしさに余り写真を撮りませんでした。オジサンが絶対見たいと思っていた「神奈川沖 裏浪」と北斎絶筆とされる「富士越の龍」は格別に滑らしいと思いました。残念ながら「富士越の龍」はオリジナルではなく、複製との事でしたがそれでも素晴らしいと思えました。

北斎は晩年「画狂人」と名乗った位、画に没頭したようですが、この「富士越の龍」を見るとそれが頷ける気がします。西洋の画家、特にゴッホには多大な影響を与えたようですが、西洋の画風とは一線を画す東洋芸術の粋がここに有るような気がします。

皆さんも機会が有れば一度信州小布施の「北斎館」や由比の「広重美術館」を訪れてみてはいかがでしょうか?信州は秋が素晴らしい土地柄です。山々の紅葉も素晴らしく、小布施は栗の名産地ですから、これから新栗が出て、栗菓子が益々美味しくなります。

さて、北斎を鑑賞して心が一杯になったところで、午後のおやつタイムをしました。北斎館にほど近い竹風堂で「栗あんみつ」を頂きましたが、これがまた美味でお腹も満足でした。

先程も書きました通り、小布施は栗が名産で、道々には栗の木が多く植わっています。それもそんじょそこらで見る様な栗ではなく、かなり大きめです。

これは道端に落ちていた栗を奥さんが拾ってきたものです。決して人様の家のモノを盗んできたモノでは有りません。手のひらに乗せるとイガが痛いので、手と比べる事は出来ませんが、手のひらに乗せると一杯になるほどの大きさです。まだまだ緑で食べられるモノでは有りませんが、奥さんは大事そうに鞄に入れて帰りました。

北斎館を見学し、竹風堂で腹を満たし、奥さんの従弟の家(長野市)で休憩をしました。従弟の家は3年前、台風19号の襲来で千曲川が決壊し被災した地域で、家も床上浸水し復旧までにかなりの時間を要したそうです。同じ敷地内に住んでいた息子さんの家も住める状態では無くなり、別の場所に家を建てて引っ越したそうです。従弟の家は千曲川沿いでリンゴ園をやっていたのですが、その畑も全滅で、今はやめてしまったそうです。水害の恐ろしさを語る従弟の目には光るものが有りました。

従弟の家を後にし、当日の宿泊地松本市に移動しました。

松本の話しはたいした事ないのですが、後日また書きたいと思います。

世界的には渇水している地域と水害が発生している地域が有るようです。今朝の情報番組ではこれが「異常気象」と言っていました。日本も他人事では無いと思います。くれぐれも災害に遭わないようご注意ください。