久しぶりの横浜でした・・・
昨日(2/8)、1年振りくらいで横浜に行って来ました。
こんばんは、オジサンです。
オジサンは、もう20年以上前まで結構長い間横浜に住んでいました。最初は西区北軽井沢と言う避暑地の様な住所の所で、2LDKに庭が付いたアパートで、その後一度長野県の松本市に住み、再び横浜に舞い戻って戸塚区の明治学院キャンパスの近くに住んでいました。
オジサンが初めて横浜に住み始めた頃、今のイオン本牧店やその周辺はまだアメリカ軍の基地があり、本牧辺りは外国人が多かったし、暴走族のあんちゃん達が週末の夜になるとブイブイいわせていました。
今は近代的なビルが建ち、ビジネスマンやビジネスウーマン、多くの買い物客で賑わっている『みなとみらい地区』もまだ三菱重工の工場の一部が残っていて、将来今の様な街に変わるとは想像もできませんでした。
桜木町駅から野毛、日ノ出町と言えば、夜は怖くて一人で歩く事も出来ず、野毛動物園近くの団地では○○が出ると噂になった事も有りました。
でも、面白い店が結構ありました。
横浜は東京とはまた違った良い店が多くありました。当時のオジサンの仕事場は東京都中央区でしたが、遊ぶのはもっぱら横浜でした。
本牧の『力車ルーム』や関内の『オリジナルジョーズ』など、個性的で美味い料理を食わせる店が沢山有ったし、今でも頑張っている元町トンネルの先にある中華料理の『奇珍』、ユーミンの歌で有名な山手の『ドルフィン』等々、数え上げればキリがないほどでした。
今では当時の面影を残す場所も少なくなり、中華街も当時の店とはずいぶん様変わりしています。当時は『豚まん』の店なんて無かったし、中華街の店には必ず『奥の間』があって、中国マフィアが出入りする店も多かった様です。(噂ですが)
そんな変わって行った横浜の中で、まだまだ頑張っているお店も沢山残っているようです。『奇珍』や『ドルフィン』もそうですが、伊勢佐木町近くにある『野毛おでん』や
『勝烈庵』もそうした昔の佇まいを残したお店です。
今回は残念ながら両方とも寄れませんでしたが、写真だけはしっかり撮って来ました。
時代は流れる・・・
オジサンも歳を重ねるように、街も歳を重ねて発展していることを、この地区を見ていると痛感します。
今でもJR桜木町駅から日ノ出町方面に向かう道路脇の路地には昔の、怪しげな雰囲気を残した店もありますが、街は奇麗になったし、歩いている人も小綺麗な感じ、しかも路上生活者はほとんど見掛ける事が有りませんでした。
オジサンは今でも横浜の町が好きです。
たとえ時代と共に変わってしまい、昔の店が無くなってしまったとしても横浜の町が好きです。東京とはどこか違う、大都会になり切れない大都会の様な感じが好きです。
そいえば、3.11の東日本大震災を被災したのも横浜でした。
次回、その時の話を書きます。