FM放送に付いて考えてみた

日ごと秋が深まって行く感じが有りますが、皆さん風邪など引いていないでしょうか?

こんにちは、オジサンです。

紅葉真っ盛りの時期となりましたが、皆さん紅葉見物には行ったでしょうか?オジサンはまだなのですが、11月26日に札幌へ仕事で行く事になっていますので、市内の紅葉を楽しみにしています。まぁ、札幌辺りじゃ紅葉と言うより、初雪の時期になってしまうかもしれませんが、2年振りの札幌ですので、楽しみにしています(仕事で行くんだろ!)。

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いろは坂 ZEKKEIより拝借しました)

紅葉と言えば、栃木県の「いろは坂」や青森県の「十和田湖」「奥入瀬」辺りが有名ですね。オジサンは松本市(長野県)に住んでいた頃、上高地の紅葉が好きで松本市に居た4年間、毎年新緑と紅葉の季節に行っていました。上高地の紅葉は10月半ば頃から始まり、11月の半ば位までは楽しめますが、11月になると雪の降る日も多くなり、難儀をします。丁度10月の末辺りに行けば、紅葉を見た帰り、穂高辺りで新蕎麦も楽しめますので、目と腹、両方満足できるのです。

東京で仕事をしていた頃は、神宮外苑の銀杏並木が色着くのを楽しみにしていて、11月末頃でしょうか、良く見に行きました。誰と行ったかは内緒です・・・。

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さて、紅葉を見に行く時、電車で行かれる方も多いと思いますが、家族や仲間、恋人と一緒にロングドライブをすると言う方も多いのではないでしょうか?

ロングドライブの友

ロングドライブと言えば車内で聴く音楽も気を遣うところではないでしょうか?一緒に行く人にもよるでしょうが、ファミリーなら楽しい曲やディズニーの曲なんかも良いですし、恋人と行くならしっとりとしたバラード系の音楽も雰囲気盛り上がっちゃいますね(勝手に盛り上がるな~!)。

ロングドライブの前日は「何、聴こうかなぁ」とCD選びにも気合が入り、夜遅くまでCD選びに没頭してしまうんじゃないでしょうか?

例えば片道3時間のドライブとして、往復で6時間、皆さんならどんな曲を持って行きますか?6時間となるとCD約6枚位になりますので、結構選択に迷ったりするんじゃないでしょうか?その日のためにTUTAYA辺りでレンタルする人も多いかも知れません。

オジサンはと言えば、前にも紹介した通り、車のCDの口は塞いでしまっていますので、CDの選択は迷いません。しかもオジサンはCDをほとんど持っていませんので、選びようがないのが現実です。オジサンはiPodを車に積んでUSBからカーオーディオにぶっこんでいます。iPodに入れる楽曲はTUTAYAで借りてきたCDをリーダーを通してPCにぶっこみます。

オジサンがロングドライブ(普段も同じですが)する時はムードもヘッタくれも無く、音楽はiPodから垂れ流しています。矢沢のえ~ちゃんの次に吉幾三さんが聴こえ、その後にJazzが鳴ったりしますので聴いてる方は「なんじゃこの選曲は?」と言う事になります。(クラシック音楽は車の中ではほぼ聴かない)

また。オジサンは基本「メンドクサガリ」なので、CDを何枚も鞄に入れて持って行くのが面倒なのです。

FM放送

オジサンの様にメンドクサガリだったり、「何でも鳴ってりゃ良いよ」と言う方も結構居ると思いますが、それでも車内で何も聴かず「エキゾースト音だけが俺の友達だぜ!」なんて言うツワモノはそれほど居ないと思います。そう言えばオジサンのオーディオの師匠は、横浜の元町トンネルを通り掛かると車の窓を開け、、空吹かしをして「いいねぇ」とご自分の愛車、ランチャのエンジン音を楽しんでいました。時々元町のパン屋「ウチキパン」に付き合わされましたが、その度にわざわざ遠回りをして元町トンネルを通った事を思い出します。

車内でCDを聴かないと言う方は、AM放送やFM放送を垂れ流しているのではないでしょうか?今時、大体の車はAM・FM放送受信機が付いているでしょうから、そのどちらかを聞いているという方も多いでしょうね。音質的にはFM放送の方が聞きやすいので、FM放送にセットしている方も多いと思います。

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(東京FM HPより拝借しました)

画像は東京FMのモノですが、今では規制解除のお蔭で各地にコミュニティFM放送局が出来、出掛けた先でその土地のFM放送を楽しむ事が出来るようになりました。

最近のFM放送は・・・

オジサンがまだ車に乗ってブイブイ言わせていた頃(今では大人しいもんです)、FM放送と言えば音楽が中心の放送内容で、MCのおしゃべりなんてホンの少ししか無かった様に思います。城 達也(じょう たつや)さんがMCを務めていた「ジェット・ストリーム」なんて、城さんのMCも恰好良かったし、かかる音楽も洗練された大人の雰囲気で、オジサンも良く聴いていました。

元々FM放送は、その音質の高さから音楽向きと言われ、番組も音楽が中心の番組が多かったと思います。作家でオーディオマニアだった五味康祐氏は、毎年年末にNHKが放送していたバイロイト音楽祭エアチェック(録音)し、ご自身のライブラリとして楽しんでおられました。それほどFM放送の音質は素晴らしいのです。

オジサンもiPodの音楽に飽きるとFM放送を聞く事がたまに有ります。本当にたまにですからこれから書く事にも間違いが有るかも知れませんが、その際はご容赦願いたいと思います。

オジサンの住む地方ではNHKFMと地方局のFM放送、あとは地域のコミュニティFMしか受信できません。FM東京J-WAVE辺りは時々聞こえますが雑音交じりでとても聞いていられません。

最近FM放送を聞いていて思う事は、音楽を流す時間が少なくなった事、マニアしか聞かないような音楽が多くなった事、下品な笑いが多くなった事などを感じます。

まぁ今の若い人達の感覚とは違うと言う事を重々承知の上で言うのですが・・・。MCの喋りが本当に下手と言う感じがします。MC、ゲスト等が集まる番組では、自分達が楽しんでしまい、時には大笑い(馬鹿笑い)をする場面もあります。FM放送(たとえコミュニティ局でも)は公共の電波ですから、自分達だけが楽しい様な会話は放送しない方が良いと思いますが、皆さんどう思いますか?

また、コミュニティFMのアナウンサーの誤読の多さには驚きを隠せません。特にニュース原稿を読む時の誤読(人の名前間違え等)は聞いていて腹が立つほどです。前読みしていなんですかねぇ?読めない字が有ったら前もって確認位するのが常識だと思いますが、こんな考えは古いですか?

FM放送は一度初心に戻り、もっと音楽を中心とした番組構成にするべきだと思うのは、オジサンだけでしょうか?そうなればもっとFM放送を聴く時間も増えると思うのですが・・・。NHKは時々「今日は一日〇〇三昧」なんてタイトルで色々なジャンルの曲を流すことも有りますが・・・。

 

さてさて、苦言提言はこれくらいにして幕を閉じますが、最近はTVも面白い番組がめっきり減った様に感じます。勿論歳と共に嗜好が変わっているせいも有ると思いますが、どうもお笑い芸人をいじめて皆で笑う様な下卑た番組が増えた様に思います。オジサンの思い過ごしでしょうか?

オジサンの思い過ごしなら、それはそれで良いのですが・・・。

 

 

 

オーディオの凋落について考えてみた

皆さん、音楽は聴きますか?

こんにちは、オジサンです。

皆さん、音楽は良く聴く方でしょうか?車の中、出勤途上の電車の中、家の中等、様々な場面で音楽を聴いていると思います。今ではスマホに記録した音楽をイヤホンやヘッドホンで聴いている若者を良く見掛けます。では、音楽を集中して聴いた時間は、今年どのくらい有りましたか?

集中して聴く方法は人それぞれで、家のスピーカーの前で頭を垂れて聴く人もいれば、イヤホンやヘッドホンで聴く人もいると思います。

1970年代のオーディオ

オーディオ全盛の時代と言えば、1970~80年代がすぐに頭に思い浮かびます。この時代(1982年まで)はアナログしか手段がなく、レコード、テープ、FM放送等がソースの中心でした。オーディオ好きな人と話をする時「板ですか?紐ですか?」なんて質問を受けた事も度々です。板は「レコード」、紐は「テープ」を指しますが、オジサンは「板」専門でしたから常に「板です」と答えていました。

紐をやられていた方は、FM放送のエアチェック(録音)派と自家録派がいて、エアチェック派の方はN響のライブ放送(実況放送)辺りを、自家録派の方は思い機材を抱えて鳥の鳴き声やSLの走行音等を録っていたと思います。中には自分のおしっこが地面に落ちる時の音を録音して、数百万円もする様な装置で再生し、「リアルだねぇ」と悦に入っていた人も居るようです(ちょっと悪趣味ですねぇ)。そう言えば、SLの走行音やF-1の走行音等のレコードも出ていましたねぇ。オジサンは聴いた事が有りませんでしたが・・・。

それでも、紐専門と言う方は比較的少なかったと思います。紐をやりながら板も楽しむのが普通で、「テープだけしか興味がねぇ」と言う方はそれほど居なかったと思います。レコードからカセットテープにダウンロードして、車の中で楽しんでいたのもこのころですねぇ(オジサンが一昨年まで乗っていたOPELにはカセットが付いていた)。

オーディオ全盛の1970年代、秋葉原辺りに行けば、内外の有名メーカーが作った超高級品から、オジサン辺りでも買える様な庶民的価格のモノまで、多くのオーディオ製品を体験する事が出来ました。当時ビジュアルは一般的では有りませんでしたので、ピュアオーディオだったのですが・・・。大体当時は「ピュアオーディオ」なんて言葉もなく、オーディオは全て音楽(おしっこの落下音も音楽か?)を聴くモノでしかなかったのです。「ピュアオーディオ」なる言葉が出てきたのは、ビジュアル(映画など)の音を家でも映画館張りに聴きたい人が増えた1980年代末だったと思います。(おそらく大型TVが市場に出てきてからではないでしょうか)

レコードを楽しむために・・・

今の若い方は、ほとんどの方がデジタル世代(1982年以降生まれで、今年32歳にならた方より若い方)でしょうから、レコードなんて見た事も無いと言う方が多いと思います。

レコードを楽しむためには、レコード(ソース)は勿論ですが、プレイヤーと呼ばれる装置が必要になります。プレイヤーの構成は以下の通りです。

カートリッジ・・・レコード針

アーム・・・レコード針を取り付ける

ターンテーブル・・・レコードを乗せて一定回転で回る

箱・・・それらを収納する箱

これらが必要になります。

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一般的にはこの様な形をしていますが、中には・・・

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こんな形をしたモノも有ります。

一般的には全て(カートリッジを除く場合も有る)がセットになっているモノが多く、オジサンの家に最初に来た「ステレオ」も全て組み込まれた家具調のモノでした。

しかし、オーディオを突き詰めていくと、これらをバラバラのメーカーで揃え、自分で組み立てる様になります。

なぜメーカーがセットで売っているモノでは満足しなくなるか・・・

音を突き詰めていくと段々自分の好みの音というものが出てきます。人によって様々なのですが、低音がブンブン鳴るのが好きな人、バイオリンがむせび泣く様に鳴るのが好きな人、人の声をより美しく鳴らしたい人等々です。そうなると可も無く不可も無く鳴るメーカー製のモノでは満足しきれなくなり、最初はカートリッジ、次はアーム、次はターンテーブル、果てはシェル(カートリッジを取る付ける部品)やカートリッジとアームを繋ぐリード線まで変えたくなるのが人情なのです。

ところが・・・あちらを換えればこちらも換えたくなるのもまた人情で、カートリッジを換えればそのカートリッジに見合ったアームが欲しくなり、アームを換えればそれに見合ったターンテーブルが欲しくなるのです。

オーディオと言う地獄

この様に果てしない買換えを繰り返す事、これを「オーディオ地獄」と言います。オジサンも例外ではなく、一時は「装置の買換えこそ自分の好みの音を手に入れる近道」と勘違いし、前の装置のローンが残っているうちに次の装置のローンを組んでしまうローン地獄にハマっていました。その頃仲間内ではその様な人を「ローンレンジャー」と呼び揶揄していたのですが、オジサンも30代の頃はローンレンジャーの一人として、オーディオのために働く様な日々でした。奥さんはどう思っていたんでしょうねぇ。その事に付いて一度も文句や愚痴を言われた事が無いのですが・・・。

結局「装置の買換えだけでは好みの音が手に入らない」と言う事に気付くのに、オジサンの場合は10年位掛かりました。特にアンプは散々色々試してみましたが、ある程度の品質を持ったアンプであれば、それほど劇的に音質が変わらないと気付くのにBMWの5シリーズが買える程の大金を費やしたと思います。

しかし、オーディオ地獄の血の池で溺れている時や、針の山を登っている時は結構楽しいんですねぇ・・・これが。傍から見れば「なにやってんだか」と言う事になると思うのですが、池で溺れている本人はそこが血の池とは思っていないので、結構楽しんでいるんです。(アホか!)

この様にして、装置を買換え、レコードを買い、散々散財したした挙句に到達するのが針の山の頂上で、下を見れば誰も居ない孤独の山なのです。オーディオとはそうしたモノなのです。

オーディオの凋落に付いて考えてみた・・

オーディオ業界の縮小がいつの頃から始まったかと言う事を考えると、やはり1982年のCD発売の頃に行き着くと思います。勿論1982年当初はCDプレイヤーやCDそのものも売れたでしょうから、ある程度の期間、メーカーはそれなりに潤ったと思います。しか~し、それは一時のカンフル剤の様なもので、一旦各家庭に行き渡ってしまえばCDはともかく、プレイヤーは販売台数が収縮するのは当たり前の話です。

更に、どれほどマニアでもCDプレイヤーの中身までいじる人はほとんど居ないと思いますので、アナログ時代の様にカートリッジを換えたり、アームを換えたりする人は居なくなります。そうなるとCDプレイヤーをポンポン買い替える人もそれほど多くは無いでしょうから、必然オーディオ業界の売り上げは低迷の一途をたどる事になります。

勿論オーディオはプレイヤー関係だけでは有りません。アンプやスピーカーも大切な部品なのですが、アンプやスピーカーはプレイヤー程いじれる部分が有りません。アンプなら真空管を換えたり、コンデンサーを換える程度がオチで、換えるとなれば本体全てを換えるのが一般的です(真空管アンプで自作をされている方は別ですが・・)。スピーカーも然りで、せいぜいケーブルを換えたり、置台を換える程度で済んでしまいます(と言うより、他にやりようがない)。

と言う事で、マニアに限らず少しでもオーディオの音を良くしたいと考える人が最も手を付け易く、それなりの効果が期待できたのがアナログプレイヤー周りだったとオジサンは思っています。レコード再生にハマった事が有る人なら、幾つかのカートリッジは持っていたと思います。

オジサンもその例に漏れず、プレイヤー周りも散々いじって来ました。カートリッジは有に20台を超え、アームも5台を超えています。幸いターンテーブルはGARRARD401を比較的早い時期に手に入れていたので、その後買い替える事は有りませんでしたが・・・。

1,982年のCD発売は、オーディオファンからこの様な楽しみを奪うと同時に、メーカーから売り上げを奪ったのではないでしょうか?

今ではCDそのものの売り上げも瀕死の状態の様で、若い方の多くはネットで音楽配信し、PCで音楽を楽しんでいる様です。いまだにCDを買っているのはオジサン達の様な昭和初期から半ば生まれの年寄ばかりの様です。オジサン達以上の年代がこの世から居なくなったら・・・CDも売れなくなってしまうんでしょうねぇ。

デジタルがオーディオ業界を殺した?

こう言うと大げさな様な気もしますが、実際デジタル化が進むにつれ、それと反比例してオーディオ業界は縮小して行った様な気がします。

確かにデジタルは多くのメリットも生み出しています。オリジナルの音源に非常に近い形で(ロスなく)リスナーの手元に届きますし、音楽を手軽に外に持ち出す(デジタルオーディオプレイヤー等)事も出来るようになりました。更に掃除をしながらでも簡単に音楽が楽しめる環境も作りました(レコードではなかなかそうは行かなかった)。

今オーディオは二極化し、大手家電メーカーが作るオーディオはお手軽志向が強くなっていて、一方の本格オーディオ装置はガレージメーカーが細々(失礼)と頑張っている様なところが有ります。

今から若い方が本格オーディオで音楽を楽しもうと思うと、本当にとてつもない金が必要になります。オジサンがハマっていた70~80年代とは比べものにならないほど機材は高額になっています。

これでは若いユーザーを獲得する事は非常に難しいでしょう。今時の若者の価値観は、オジサン達世代が若い頃とはずいぶん様変わりしています。「スマホ代は月3万でも出すが、車やオーディオのローンは払いたくない」と言うのが今時の若者の価値観で、それは決して間違っていないと思います。価値観は時代と共に変化するのが当たり前で、昭和の価値観を現代に押し付ける気はオジサンには更々有りませんです・・・ハイ。

結局オーディオ業界を殺したのは誰か?と問われれば、「それはオーディオ業界自身」とオジサンは答えるでしょう。その答えが合っているか否かは別として・・・。

オーディオは誰のモノ?

以前にも書いた事が有りますが、オーディオは非常に個人的なモノで、出てくる音に関してはユーザー自身が満足すればそれで良いのです。

秋の夜長、皆さん音楽に耳を傾けましょう。何もせず、ただぼんやり音楽を聴く事も楽しいですが、集中して聴くと今まで聴こえなかった様な音楽が聴こえてくるかも知れません。

音楽の楽しみ方は人それぞれですので、部屋で静かに聴くも良し、ヘッドホンやイヤホンで音楽を外に持ち出すのも良し、仲間と一緒に聴くのも良しです。

ただ、今まで聞き流していた音楽を、今一度集中して聴いてみてください。新しい発見(亡霊の声など)が有るかも知れませんよ~ぅ。

菅野沖彦氏の訃報

今年の秋は暖秋と言う事で、なかなか気温が下がって来ません。昨日あたりは半袖で歩いている人まで見掛けましたが、皆さんはいかがでしょうか?

こんにちは、オジサンです。

10月13日にオーディオ評論家、レコード演奏家の菅野沖彦氏が亡くなられたという記事を、昨日読みました。オーディオと関係の無い方は菅野沖彦氏と言っても「だれ、それ?」と言う事になると思いますが、ピュア・オーディオ(以下オーディオ)全盛だった1970年代、オーディオをいじっている人でその名を知らない人はいない程の方でした。

オーディオ全盛の頃は多くの「オーディオ評論家」と言われる方がいらっしゃって、瀬川冬樹氏、江川三郎氏等々、個性的なキャラの方々がオーディオ雑誌等で言いたい放題していましたねぇ。

特に個性的なキャラをしていたのが「コードで音が変わる論」を展開していた江川三郎氏と「自作スピーカー論」を展開していた長岡鉄男氏だったと思います。瀬川冬樹氏と菅野沖彦氏は、どちらかと言えば「まとも」な評論を展開していたと思いますが、両氏とも「高級品志向」と言わざるを得ないと思います。

特に菅野氏は、オーディオだけでなく、車、時計等も高級品志向で有名な方で、一方の瀬川氏のカメラも有名でした。「オーディオに凝る人間は機械物が好き」と言うのが余の通説で、確かにオジサンの周りのオーディオファンの方も、車や時計、カメラが好きな方が多いです。

菅野沖彦氏

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(菅野沖彦氏・・・オジサンでは有りません)

菅野沖彦氏と言えば、ファッションもオシャレな印象が有ります。非常に紳士的で話し方も落ち着いている感じでした。

実はオジサン、菅野沖彦氏の取材を受けた事が有ります。ステレオサウンド(以下SS)と言うオーディオ専門誌に「オーディオファイル訪問」と言う企画が有り、各地のオーディオ店の紹介でオーディオファンの自宅を菅野氏が訪問すると言う企画でした。

オジサンが登場したのは、松本市(長野県)に住んでいた頃ですから、もう30年位前の事でした。日頃通ってクダを巻いていたオーディオ店の紹介で取材を受けたのですが、当日我が家を訪れた菅野氏は、ちょうど写真の様な出で立ちで、非常に紳士然とした風貌でした。

どれくらい我が家に滞在したか忘れましたが、何枚かのレコードを聴いていただき、音や音楽の話をした事を覚えています。その様子はSS誌に掲載されましたが、「小さい音で聴いているんですねぇ。おそらくこの企画の中で一番小さいんじゃないかなぁ」と仰った菅野氏の声は、今も耳の奥に残っています。

残念ながら・・・

残念ながら、菅野氏ご推薦の装置は金額的にオジサンにはとても手が出せないモノばかりで、菅野氏推薦の装置は手にした事が有りません。

しかし、菅野氏のオーディオ論は沢山参考にさせて頂きました。

長年オーディオの普及に努めてこられた菅野沖彦氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。遅ればせながら、今日の夜、菅野氏のためにフォーレのレクイエムを鳴らしてみたいと思います。

今日は、Schubert(シューベルト)の話し

秋の夜長、音楽に耳を傾けて居る方も多いと思います。

こんにちは、オジサンです。

昨日、モーツアルト作曲のバイオリン協奏曲に付いて少しだけ書きましたが、たまにはモーツアルトやバッハ以外の作曲家の事も書いて置こうと思います。

今日はSchubertシューベルト)の話です。

オジサンがシューベルトの話をすると、音楽仲間から「にあわねぇ~」と非難を浴びそうですが、今日は勇気を振り絞ってシューベルトに付いて・・・と言ってもシューベルトのレコードに付いて・・・書きたいと思います。

シューベルトモーツアルト没後6年目にあたる1797年、オーストリアに生まれ、1828年、31歳でこの世を去った作曲家ですが、モーツアルト(35歳)より早死にですねぇ。31歳と言う若さでこの世を去っているにも関わらず、「歌曲王」と呼ばれ、多くの名作を残しています。さすが歌曲王と呼ばれるだけあって、多くの有名な歌曲が残っています。「魔王」菩提樹」「子守唄」辺りは皆さんも一度は耳にした事が有ると思います。シューベルトの詳細に付いては様々なHPで紹介されていますので、そちらをご覧ください。

ピアノ五重奏曲「鱒」

オジサンは長年この曲の由来を勘違いしていました。と言うのは、先にピアノ五重奏が有り、その一部を歌曲に作り替えたと思っていたのですが、どうやら逆の様で、先に歌曲が有り、ピアノ五重奏はその変奏になっているようです。

この曲もかなり有名な曲ですから、皆さんもどこかで耳にした事が有ると思います。全曲でなくても、歌曲と同じ部分(第四楽章)だけは、聴けば「あぁ、知ってる!」と言う方が多いのではないでしょうか?オジサンも第四楽章は大好きで、この部分に来ると読んでいた本を置き、楽曲に聞き入ります。(勿論、他の楽章も真剣に聞きますが・・・)

この楽曲のレコードで、オジサンが愛して止まない一枚が旧東ドイツのETERNAレーベルから発売になっていたレーゼル(P)、ズスケ(Vn)の一枚です。CDは徳間から発売されていたようですが、今は有るのか無いのかわかりません。

この楽曲、下手に鳴らすとコントラバスが消えてピアノ四重奏になってしまいます。特に第四楽章はコントバスが低音を支えますので、コントラバスが消えてしまうと目の前で鱒が泳ぎません・・・ご注意ください。

アルペジョーネソナタ

オジサンはこの曲のくら~い感じが好きです。

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オジサンが愛して止まない一枚は、パスキエが演奏した一枚です。この盤、長岡鉄男氏推薦の一枚です。オーディオ的には長岡氏の意見を取り入れた事は有りませんが、この盤に関しては「なるほど」と思ってしまうほど音質は素晴らしいと思います。

ただし、演奏は・・・となると微妙に?が付いてしまうところが残念なのですが、一聴の価値は十分ある一枚だと思います。CDで出ているかどうか分かりませんが、良かったら探して下さい。

音楽に寄せて 作品D-547

元々は「楽に寄す」と翻訳されていた楽曲で、シューベルトを代表する声楽曲の様ですが、残念ながらオジサンはこの楽曲を声楽で聴いたことが有りません(もしかしたら何れかのレコードに入ってるかも)。実はオジサン、この楽曲を聴いたのはピアノ伴奏家で有名だったジェラルド・ムーア(英)のフェアウエル・コンサートと名付けられたムーア引退時のコンサート実況レコードでした。

ロス・アンヘルス(s)、シュヴァルスコップ(s)、フィッシャー=ディースカウ(Br)を従えて(本当は伴奏家なので、歌手が主役なのですが、このレコードはどう聴いてもムーアが主役になっている)、ロイヤル・フェスティバル・ホールで行われた実況で、お客さんの拍手や咳払い等も収録されています。

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amazonより)

コンサートは、三人の歌手が入れ替わり、時には二人で、時には三人同時に様々な作曲家の曲を歌います。勿論当代切っての歌手ですから、それぞれに持ち味を出し、時には助け合って、様々な歌を聴かせてくれます。

このコンサートの最後、ムーアが一人で演奏するのがこの「楽曲に寄せて」と言う曲です。本来は歌が入るのですが、このレコードではムーアが独奏しています。

演奏前にコンサートに来てくれたお客さんにあいさつするのですが、ジョークやウイットの利いた挨拶は観客にウケまくります。かつてEMIのプロデューサーで、シュヴァルスコップの旦那さんでもあったウォルター・レッグに対してもジョークを交えて感謝の意を表しています。

ムーア自身、「人前で初めて一人で演奏する」と言っている通り、全くの一人なのですが、何とも味のある曲に仕上がっています。CDでも発売になっている様なので興味が有ったら聴いて下さい。

シューベルトは他にも沢山の名曲を残しています。最初に書いた通り、歌曲は山の様に名曲が有りますし、未完成交響曲も素晴らしいし、弦楽四重奏、五重奏にも名曲が有ります。世の中では、モーツアルトが夭折の天才と言われますが、シューベルトも負けていないとオジサンは思います。

 

五月にある人が言った・・・(リリー・フランキーさんのマネ)

「人の一生は長さで決まるものではない、その間に何を残したかである」と

「人は誰でも、生まれた瞬間から死に向かって疾走している」と言ったのはモーツアルトだったでしょうか?(オジサンは忘れましたが)確かに、死なない人は居ない訳ですから、人は何時いかなる時でも死に向かって疾走している訳ですが、やはりその人間が生きていた証みたいなものは残したいですねぇ。とは言っても、オジサンは所詮小さな人間ですから、何かを残すと言っても何も残すモノなんかないのですが、オジサンが死んだ後、誰かが「そう言えば、あの時オジサンがこんな事言ってやがったなぁ」と言われればそれで十分です。きっと死んだ翌日には忘れ去られてしまうんでしょうが・・・。

さみし~っ!

オーディオの話し・・・アナログは楽しい?

各地から紅葉の便りが聞えてくる頃になりましたが、皆さんお元気にお過ごしでしょうか?

こんにちは、オジサンです。

秋の夜長、読書をするも良し、何か美味しいモノを食べるのも良し、ボ~っとTV鑑賞するのも良い時期となりましたが、皆さんはどんな風に秋の夜長を楽しんでいますか?オジサンは秋の夜長、レコードを聴きまくっています。

相変わらずモーツアルト、バッハ、時々ベートーベンと言った感じですが、やっぱりモーツアルトとバッハは素晴らしいと再認識しています。最近特に「ウヲ~、すげぇなぁ」と思ったのがグリュミーオー(Vn)がソロを務めたモーツアルトのVn協奏曲第3番です。録音は旧録の方ですから、MONO録音です。

このレコード、何がすごいかと言えば、何と言ってもグリュミオーのバイオリンの音色だとオジサンは感じています。

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(出典:amazon 写真と本文は無関係です)

写真はCDジャケットですから、オジサンが持っているアナログレコードとは違いますが、グリュミオーモーツアルトバイオリン協奏曲は後録のデイビス(Con)と組んだものより、パウムガルトナー(Con)と組んだものの方が良いとオジサンは思っています。確かに、MONO録音ですから音の広がりや、分離に不満が無いと言えば嘘になるのですが、何と言ってもその音色の美しさは旧録が素晴らしく感じます。また、グリュミオー自身の「ノリ」も旧録の方が良いと思うのはオジサンだけでは無いと思います。

CDはDECCAから出ているようですが、オリジナルはフィリップスの盤です。非常に安く入手できるようなので、機会が有ったら聞いてみてほしい1枚です。

なんで今更・・・

さて、なぜ今更グリュミオーモーツアルトに激感激したかと言うと、先日オーディオ仲間の方の所で、オーディオを聴かせて頂く機会が有り、長野県は塩尻産の葡萄を持参して聴かせて頂きに行って来ました(場所は藤沢市です)。

その方は現在オジサンが使っているラインプリとフォノイコライザーを作ってくれた方の紹介で知り合った方なのですが、既に10年ほどのお付き合いをさせて頂いています(仮にAさんとしておきます)。Aさんのオーディオ歴はオジサンより古く、お歳もオジサンより6歳くらい上の方なのですが、1982年のCD襲来時に全てCDに乗り換えてしまい、今はCDとPCでオーディオを楽しんでおられます。

Aさんもモーツアルトがお好きで、モーツアルトの楽曲でCDになっているモノは全て持っておられる様です。録音は新旧様々ですが、「やはり1960~70年代初頭にアナログ録音されたモノが一番音質的に優れている」と言うご意見の持ち主です。

しばらくお会いしていなかったのですが、先月突然「たまには出て来なさい」と言う、指令とも取れるようなハガキを頂き、「たまには行ってみるか」と言う事になった次第です。

CDのグリュミオー

Aさんの装置は、CDはESOTERIC(エソーテリック)の数十万円するモノで、とてもオジサンには手が出せない代物、アンプは真空管式の自作、スピーカーはTANNOYの大型フロアーです。このラインナップで悪い音のするはずはなく、その方の装置からも非常に趣のある、とても滑らかな音が出ています。

お邪魔して直ぐに装置の置いてある部屋に通され、しばらく最近の近況やオーディオ談義をした後、装置の音を聴かせて頂きました。オジサンの家にはCDを再生する装置が有りません。車もCDの口は塞いでしまっていて、iPodをUSB接続していますので、CDの音を聴くのは久しぶりでした。

最初はモーツアルト作曲のセレナーデ10番、通称「グランパルティータ」と呼ばれる管楽器だけで演奏される1曲でした(ベルリンフィル管楽アンサンブル)。この曲、映画「アマデウス」でも使用されました。サリエリがこの曲を聴いてモーツアルトの才能に嫉妬する場面です(男の嫉妬は怖いですねぇ)。

オジサンもこの曲が大好きで、オジサンが持っているのはチェコフィルのメンバーが演奏したものとコレギュウム・アウレウムの盤です(勿論アナログですが)。

次に通称「モツレク」と言われるモーツアルトのレクイエム。これはかの有名なカール・ベーム(Con)の盤で、やっぱり評判通り演奏は素晴らしいです。オジサンが持っているモツレクは、なぜかリヒター(Con)のモノと、ケルテス(Con)のモノです。オーディオ仲間からは「ケルテスはわかるけど、なんでリヒターなんだ?」と痛烈な批判を浴びていますが、なぜかオジサンはリヒター盤が好きなのです。

モツレクは勿論ラクリモーサで打ち切り、その後弦楽四重奏、バイオリンソナタ等を聴かせて頂き、最後にグリュミオーが演奏するモーツアルトのVn協奏曲第3番を聴かせて頂き、お宅を辞する事となりました。

どの楽曲も、演奏も、そして出来る音も一級品で、何も文句の付けようがないのは当然の事で、散々聴かせて頂き、お昼ご飯までごちそうになって、帰りにお土産まで頂いて帰って来ました。

やっぱりアナログはすげぇ・・・

家に帰りついたのは22時頃で、普段のオジサンならとっくに夢の中を彷徨っている時間ですが、その日はどうしてもモーツアルトのVn協奏曲第3番を聴きたく、オーディオのスイッチを入れ、コーヒーを淹れてグリュミオーを聴きました。

Aさんの所の音と、オジサンの所の音・・・音は人それぞれで、オーディオは個人の好みですから、音の比較をするなんて事は無意味な事なのですが・・・とオジサンの装置の音を、音がまだ耳に残っているうちに比較してみたかったのです。

Aさんの所で聴かせて頂いたグリュミオーは、非常に柔らかく、快活で楽しい演奏と感じました。それだけを聴いているなら、何も文句の付け様がないほど素晴らしい音質だったと思いましたが、やはり何かアナログとは雰囲気が違うのも確かです。

自宅に帰って、改めてグリュミオーの演奏をアナログで聴き、「やっぱりアナログはすげぇ」と思いました。何がどう違うのか・・・残念ながらオジサンに科学的な証明はできませんが、身体が感じる何かが違う様な気がします。

アナログは手が掛かるし、レコード盤が痛む事もまま有りますので、メンドクサガリのオジサンには本当は向いていないのかも知れませんが、やっぱりアナログの方が良いと感じてしまったオジサンです。

 

世の中、何もかもが便利な方に進んでいます。勿論科学の進歩がそうさせるのだと思いますし、オジサンも便利な世の中の方が良いと思います。しかし、何もかもが左クリック一発で済んでしまう様な世の中は余り賛成できません。

人と人は関わりを持つべきだと思います。今の世の中・・特に若い方に多い様ですが・・他人と上手にコミュニケーションを取れない人が急増しているそうです。スマホやPC相手なら何も話す必要もないし、嫌ならスイッチを切ってしまえば良いのですから、これほど楽な関係は有りません。

両親や兄弟との関係も然りで、親は煩いのが当たり前なのですが、スイッチ一つで親兄弟の関係をクリアする事は不可能です。煩くても何でも、親とは一生関わっていかなければならないですし、社会に出れば嫌でも上司や先輩、後輩との付き合いが出てきます。皆さんも上手く周りと付き合える方になって下さい。

アナログ人間のオジサンでした。

 

 

秋の星観測

めっきり秋が深まった感が有りますが、皆さん風邪などで体調を崩していませんか?

こんにちは、オジサンです。

今年の夏は異常に暑く、9月の末位から今度は急激に涼しくなり、夏の疲れがドット出ている方も多いと思います。オジサンもここ1週間位、何となく風邪気味で、鼻がムズムズします。毎年セイタカアワダチソウが黄色い花を咲かせるこの時期は、何となく不調に陥るのでが、今年は特にひどい気がします。風邪なのか、鼻炎なのかわからない状態が続いていて、葛根湯を飲んでもすっきりしない。とは言っても寝込む程でもなし・・・。まぁ、歳のせいですかねぇ・・・何でも歳のせいにする!

真っ白な富士山

先週末(10/19)に降った雨が、富士山では雪だった様で、10/20の土曜日には5合目付近まで真っ白になっていました。続いて20日の夕方から夜に掛けても雪が降ったようで、21日にはすそ野の方まで真っ白に雪化粧をしていました。

オジサンは5時過ぎに外へ出て富士山を見たのですが、まだ眠気が取れない頭で、ボーっと眺めてしまい、写真を撮るのをすっかり忘れていました。

朝日が富士山に当たり、それはそれは綺麗だったのですが、残念な事をしました。

秋の星観測

宇宙の不思議について前回少しだけ書きましたが、やっぱり宇宙は考えれば考えるほど不思議な事が頭の中を駆け巡り、もちろんオジサンの知識では解決できませんので、澱の様に頭の中に残ってしまいます。

オジサンが住んでいる場所は、結構山に近いので、車で20分も走れば人里離れた山の中に行く事が出来ます。その辺りまで行けば街の光も届かないので、肉眼でも結構多くの星を見る事が出来るのですが、この時期夜間は結構冷えます。まして山の上となると里より気温は低いので、億劫になってしまいなかなか星空を見に行く事も無いのです(オジサンは超メンドクサガリなのです)。

しかし、せっかく宇宙に興味を持ったのだから、少し位は星空を眺めに行ってみようと思います。そうなると必需品は天体望遠鏡ですよねぇ。

天体望遠鏡

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(出典:amazon 本文と写真は一切関係ありません)

秋は冬ほど寒くはないし、空気も澄んで天体観測、星観測にはもってこいの時期だとわかっていても、やっぱりメンドクサガリのオジサンは何か切っ掛けが無いと思い腰が上がりません。そこで「天体望遠鏡を買おう」と一大決心をしてamazonを見ていましたが、結構値段に開きが有って、どれを買って良いやら分かりません。おそらくカメラのレンズと一緒で、余り安いモノはレンズの精度(品質)が落ち、歪んで見える恐れがあると思います。ちょっと良さげなモノだと二桁万円してしまい、オジサンの懐具合ではちょっと厳しい・・。それにオジサンはメンドクサガリの上に飽きっぽい性格なので、それだけの金額を出しても活躍する場が無いまま放置される可能性もかなりの確率で有ります。

そうなると本当にモッタイナイ話です。そこで、テニス仲間に誰か持っている人がいないか聞く事にして、先週の土曜日「誰か天体望遠鏡持っている人は居ない?」とメンバーに聞いたところ「えっ!変態望遠鏡ですか?」と言う至極真っ当(?)な答えが返ってきました。

さらに「変態望遠鏡で、何覗くんです?」ですと・・・。「失礼な!」とは言ってみたものの、普段のオジサンの言動からすれば、凄く真っ当な返しだったような気もします。確かに集合住宅のベランダ辺りに天体望遠鏡を据えて、そのレンズの先が隣のマンションとか民家に向いていたら・・・確かに「変態望遠鏡」だわ。

まだ買っていません

と言うようなやり取りの果て、メンバー天体望遠鏡を持っている様な金持ちはおらず、しょうがないので自分で調達しようと考えましたが、やっぱり費用対効果を考えると今一歩が踏み出せないでいるオジサンです。

双眼鏡辺りでも「月」位は結構見えると言う話もHP辺りで見掛けます。双眼鏡なら以前「バードウォッチングをしよう」と思って買ったモノが有ります(バードウォッチングも3回位行って飽きてしまった)ので、それで月を見ようと思っています。今は半月なので、満月になった頃、双眼鏡を持ち出して月を見てみようと思います。

でも、オジサンがこんな事を思うと、満月の頃天気が悪くなるんだよなぁ・・。日頃の行いを改めないとだめか~・・。

 

さてさて、秋も深まりつつある今日この頃ですが、皆さんはどんな秋ですか?どんな秋だったとしても、身も心も元気じゃないと楽しくないでよね。時には好きな事をして身も心もリフレッシュして、大いに秋を満喫して下さい。

オジサン的には・・・焼肉食いて~って感じです。

 

世界の不思議

いよいよ本格的な秋が来たようで、朝晩の気温は「涼しい」を通り越して「寒い」と感じられるほどになりましたが、皆さんお元気にお過ごしでしょうか?

こんにちは、オジサンです。

最近イベントが無く、更新もまばらになってしまいましたが、一応オジサンは元気です。週末はテニスに明け暮れているし、音楽も毎日聴いています。

最近オジサンがハマっているのが「世界の不思議」とか「宇宙の不思議」みたいなことで、時間が有るとネット検索して記事を読み耽っています。世界や宇宙にはまだまだ不思議なことや、解明されていない謎が沢山ある様で、読めば読むほど「???」な状態になってしまいます。

宇宙の端

今オジサンが最も不思議と言うか、知りたい事・・・それは「宇宙の端っこってどうなっているの?」と言うことです。結論から言うと「わからない」と言うことになるようです。

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と言うのは、宇宙の果てから飛んでくる光なり、電波なりを捉える技術をまだ人類は手に入れていない様で、現時点もっとも遠い宇宙は35億光年程度とされているようです。

それでもすごいですねぇ。35億光年って、光の速さで35億年掛かるってことでしょ。全く想像の範疇を超えた壮大な話で、オジサン的には「あぁ、そう」と言うしかありません。

行けるなら行ってみたい宇宙の端っこですが、もしそこに壁なんかあって、何かペイントがしてあったら面白いでしょうねぇ。「The End」なんて書いてないかなぁ。

世界の不思議

オジサンが現在の世界で最も不思議に思うのは、何と言ってもピラミッドです。

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だって、何千年も前に建てられたんでしょ?その時、人間にこれほどの建築物を作る技術が有ったんですかねぇ?例え技術が有ったとしても、あれほど正確に作れるものなんでしょうか?

オジサンは建築の専門家でも、考古学者でも有りませんので、詳しい事は知りませんが、クレーンや正確な測定技術も持たない古代の人達が作ったとは到底思えないです。オジサン的には「宇宙人が来て作った」と言う懐疑的な説を支持したいと思います。

まだまだある、不思議の世界

宇宙は勿論、我々が住む地球にもまだまだ多くの不思議が有り、多くの科学者が日夜研究を重ねているようですが、まぁオジサンが生きているうちに一つでも解明されれば有りがたいですが、なかなかそうも行かないでしょうねぇ。

オジサンが小さい頃からなんとなく考えている事に「人は再び自分というものを感じる事ができるか?」と言う疑問が有ります。今生きている我々は、常に自分と言うものを感じる事が出来ますが、死んだ後も再び「自分」を感じる事が出来るでしょうか?なんだか、輪廻転生的な話で申し訳ないのですが、そんな事、考えた事有ります?

人はなぜ、寝ないと死んでしまうの?人類はどこから来たの?・・チコちゃんに聞いてみようかなぁ・・。