秋の夜長、音楽に耳を傾けて居る方も多いと思います。
こんにちは、オジサンです。
昨日、モーツアルト作曲のバイオリン協奏曲に付いて少しだけ書きましたが、たまにはモーツアルトやバッハ以外の作曲家の事も書いて置こうと思います。
オジサンがシューベルトの話をすると、音楽仲間から「にあわねぇ~」と非難を浴びそうですが、今日は勇気を振り絞ってシューベルトに付いて・・・と言ってもシューベルトのレコードに付いて・・・書きたいと思います。
シューベルトはモーツアルト没後6年目にあたる1797年、オーストリアに生まれ、1828年、31歳でこの世を去った作曲家ですが、モーツアルト(35歳)より早死にですねぇ。31歳と言う若さでこの世を去っているにも関わらず、「歌曲王」と呼ばれ、多くの名作を残しています。さすが歌曲王と呼ばれるだけあって、多くの有名な歌曲が残っています。「魔王」「菩提樹」「子守唄」辺りは皆さんも一度は耳にした事が有ると思います。シューベルトの詳細に付いては様々なHPで紹介されていますので、そちらをご覧ください。
ピアノ五重奏曲「鱒」
オジサンは長年この曲の由来を勘違いしていました。と言うのは、先にピアノ五重奏が有り、その一部を歌曲に作り替えたと思っていたのですが、どうやら逆の様で、先に歌曲が有り、ピアノ五重奏はその変奏になっているようです。
この曲もかなり有名な曲ですから、皆さんもどこかで耳にした事が有ると思います。全曲でなくても、歌曲と同じ部分(第四楽章)だけは、聴けば「あぁ、知ってる!」と言う方が多いのではないでしょうか?オジサンも第四楽章は大好きで、この部分に来ると読んでいた本を置き、楽曲に聞き入ります。(勿論、他の楽章も真剣に聞きますが・・・)
この楽曲のレコードで、オジサンが愛して止まない一枚が旧東ドイツのETERNAレーベルから発売になっていたレーゼル(P)、ズスケ(Vn)の一枚です。CDは徳間から発売されていたようですが、今は有るのか無いのかわかりません。
この楽曲、下手に鳴らすとコントラバスが消えてピアノ四重奏になってしまいます。特に第四楽章はコントバスが低音を支えますので、コントラバスが消えてしまうと目の前で鱒が泳ぎません・・・ご注意ください。
アルペジョーネソナタ
オジサンはこの曲のくら~い感じが好きです。
オジサンが愛して止まない一枚は、パスキエが演奏した一枚です。この盤、長岡鉄男氏推薦の一枚です。オーディオ的には長岡氏の意見を取り入れた事は有りませんが、この盤に関しては「なるほど」と思ってしまうほど音質は素晴らしいと思います。
ただし、演奏は・・・となると微妙に?が付いてしまうところが残念なのですが、一聴の価値は十分ある一枚だと思います。CDで出ているかどうか分かりませんが、良かったら探して下さい。
音楽に寄せて 作品D-547
元々は「楽に寄す」と翻訳されていた楽曲で、シューベルトを代表する声楽曲の様ですが、残念ながらオジサンはこの楽曲を声楽で聴いたことが有りません(もしかしたら何れかのレコードに入ってるかも)。実はオジサン、この楽曲を聴いたのはピアノ伴奏家で有名だったジェラルド・ムーア(英)のフェアウエル・コンサートと名付けられたムーア引退時のコンサート実況レコードでした。
ロス・アンヘルス(s)、シュヴァルスコップ(s)、フィッシャー=ディースカウ(Br)を従えて(本当は伴奏家なので、歌手が主役なのですが、このレコードはどう聴いてもムーアが主役になっている)、ロイヤル・フェスティバル・ホールで行われた実況で、お客さんの拍手や咳払い等も収録されています。
(amazonより)
コンサートは、三人の歌手が入れ替わり、時には二人で、時には三人同時に様々な作曲家の曲を歌います。勿論当代切っての歌手ですから、それぞれに持ち味を出し、時には助け合って、様々な歌を聴かせてくれます。
このコンサートの最後、ムーアが一人で演奏するのがこの「楽曲に寄せて」と言う曲です。本来は歌が入るのですが、このレコードではムーアが独奏しています。
演奏前にコンサートに来てくれたお客さんにあいさつするのですが、ジョークやウイットの利いた挨拶は観客にウケまくります。かつてEMIのプロデューサーで、シュヴァルスコップの旦那さんでもあったウォルター・レッグに対してもジョークを交えて感謝の意を表しています。
ムーア自身、「人前で初めて一人で演奏する」と言っている通り、全くの一人なのですが、何とも味のある曲に仕上がっています。CDでも発売になっている様なので興味が有ったら聴いて下さい。
シューベルトは他にも沢山の名曲を残しています。最初に書いた通り、歌曲は山の様に名曲が有りますし、未完成交響曲も素晴らしいし、弦楽四重奏、五重奏にも名曲が有ります。世の中では、モーツアルトが夭折の天才と言われますが、シューベルトも負けていないとオジサンは思います。
五月にある人が言った・・・(リリー・フランキーさんのマネ)
「人の一生は長さで決まるものではない、その間に何を残したかである」と
「人は誰でも、生まれた瞬間から死に向かって疾走している」と言ったのはモーツアルトだったでしょうか?(オジサンは忘れましたが)確かに、死なない人は居ない訳ですから、人は何時いかなる時でも死に向かって疾走している訳ですが、やはりその人間が生きていた証みたいなものは残したいですねぇ。とは言っても、オジサンは所詮小さな人間ですから、何かを残すと言っても何も残すモノなんかないのですが、オジサンが死んだ後、誰かが「そう言えば、あの時オジサンがこんな事言ってやがったなぁ」と言われればそれで十分です。きっと死んだ翌日には忘れ去られてしまうんでしょうが・・・。
さみし~っ!