台風26号の思い出

今週末も雨の様で、明日は台風24号の襲来で大荒れの空模様になりそうですが、皆さん既に台風に備えた準備は大丈夫でしょうか?

おはようございます、オジサンです。

なんだか台風の大安売りの様に台風が日本列島にやって来ます。今週末も大荒れの天気になりそうで、今朝もこうしてコメダ珈琲でブログの更新をしています。

現在時刻、7時22分です。

今年は本当に台風の発生も、日本にやって来る台風の数も例年になく多く、そのほとんどが大型、又は超大型って言うんですから、なんだかなぁと思ってしまうオジサンです。

今日はそんな台風の、オジサンの思い出を書いてみたいと思います。なんだか冗談のような話ですが、本当の話しです。

昭和41年(1966年)

昭和41年と言えばオジサンはまだかわゆい小学生で、学校で悪さばかりしていた頃です。今日はその昭和41年にオジサンの住む町を襲った、台風26号の事を書いてみたいと思います。既に半世紀以上前の記憶ですから、相当怪しい部分も有ると思いますが、皆さん暖かい気持ちで許してあげて下さい。

この頃のオジサンは、当時TVアニメだった「スパージェッター」(この年の1月まで放送されていた?)に憧れ、学校に「流星号」が迎えに来てくれる事を本気で信じていた頃です。校舎の窓から流星号に飛び乗り、颯爽と帰って行く自分の姿を本気で夢想しているような、夢見る少年でした。

日本は昭和39年(1964年)の東京オリンピックも無事に終わり、本当の高度成長期を迎え、数年前に発売された即席ラーメンが一般家庭に浸透した頃です。オジサンは記憶が正しければオジサンは「マルちゃんのハイラーメン」が好きで、良く食べていた記憶が有ります。どんぶりにラーメンを入れ、お湯を掛けて皿で蓋をして、できるのを楽しみにしていました。純真無垢な少年だったんですねぇ・・・今の姿からは想像できない!

今の様なカップラーメンが出来るのははまだまだ先の話しで、「あさま山荘事件」(1972年)で機動隊員が雪の積もる現場でカップラーメンを食べる姿が全国放送され、全国に広まったと言われるのは有名な話しです。

日本各地では各種工場がフル稼働をし、有害な煙や有害な排水をバンバン出していた頃です。大きな社会問題となるのはもう少し先の話しですが、池田内閣が打ち出した「所得倍増計画」の真っただ中にあった頃で、「エコノミックアニマル」と日本人が言われたのもこの時代だと思います。日本のお父さんは本当に良く働いていました。今は長時間労働が社会問題となていますが、そんなのは比べモノにならないくらい当時のお父さん達は働いていました。それが良いか悪いかは別として、そのころ頑張っていたお父さん方から見れば、「今の世の中、甘っちょろいぜ!」と言う事になるんだと思います。

台風26号

さて本題の台風26号です。台風26号は24号とほぼ同時に日本列島を襲い、24号は西日本を、26号は中部地方を直撃しました。オジサンの住む町に大きな影響を与えたのは26号の方で、本当にすごい台風でした。

台風26号が中部地方に最接近し上陸したのは9月25日の未明と言うか、24日の夜中だったと思います。オジサンはお袋と弟の3人で爺さんの家に避難していました。

当時オジサンが住んでいた家は本当に海のすぐ近くで、防波堤のすぐ脇に有ったので高波、、高潮の危険は非常に高かったので、台風26号の接近に備え避難していました。

一方オヤジはやはり家が心配だった様で、近所の煮干し屋に住み込みで働いていた若い方(確かツネさんと呼んでいた)と一緒に家に残りました。

夜中の大雨、大風は本当にすごかったですねぇ。爺さんの家は海岸から1Km程離れていますので、高潮、高波の心配は無いのですが、風がものすごく吹き荒れ、古い家でしたから家じゅうがガタガタ震えていました。それでもオジサンはグッスリ寝ていたと、お袋に後から聞かされました。

台風が去り、翌日の朝は結構良い天気だっと思いますが、オジサンの記憶違いかもしれません。

ボートが屋根に・・・

台風が去り、一夜が明けた翌日、オジサン達は家を見に行きました。オヤジが生きているか、家はどうなているか?

避難する時はオヤジが送ってくれましたが、その日の朝、お袋は片手に荷物を持ち、弟を背負ってオジサンの手を引きながら約1Kmの道を急ぎました。家が見える所まで来て、無事家が立っている事を確認してお袋はホッとした様で「よかった~」と一言漏らした事を覚えています。オジサンは別に何も考えなかったし、感じなかったと思います。

しか~し、家に近付くにつれ家の様子がおかしい事に気づきました。なんと、屋根にボートが刺さってる~!

お袋は急いで家に入り、オヤジを呼びます。でも返事が有りません・・・。この時お袋は、てっきり波に浚われたと思ったそうです(後日談)。何度か呼ぶうち、遠くからオヤジの声が聞えます・・・なんと屋根の上で煮干し屋のツネさんとボートを引っ張り出している最中でした。

波が防波堤まで初めて来た

オジサンの住んでいた辺りは、海岸線から防波堤までおよそ100m位の距離が有り、なだらかな坂になっていました。それは今も殆ど変わりません。

海岸には多くの釣りや地引網用のボート(船と言うには小さい)が置いてあります。当時のモノは、今の様な合成樹脂でできたモノではなく木製で非常に重たいのです。地元の漁師が地引網を引くためのボートは多少大きいモノも有りますが、漁船と呼べるほどのモノでは有りません。オジサンの家にも小さな3人乗りのボートが有り、良くオヤジと釣りに出掛けました。

どれほど海が荒れても防波堤まで波が来るような事は無かったのですが、台風26号で初めて防波堤まで波が来たようです。それまでのなだらかだった海岸が波で削られガタガタになっていました。

おそらくその波で持ち上げられたボートが風で飛ばされ、家の屋根に刺さったんだと思います。それほど強烈な台風だったんですねぇ。

防波堤まで波が来たのはその時1回切りだと思います。

防波堤の海側に有った地元漁師の網小屋(地引網を置いておく小屋)も煮干し屋の工場も、影も形も無くなっていました。

その後

ボートが屋根に刺さって屋根に大穴が開いた家にその後3年住み続けました。勿論屋根の穴は修理しましたが・・・。

煮干し屋はこの台風被害を機に移転したのか、商売をやめてしまったのかオジサンは知りませんが、ツネさんは地元の秋田に帰ったと聞きました。その後の消息は不明です。ツネさんはオジサンをすごく可愛がってくれて、一緒に風呂に入ったり、釣りも一緒に行った覚えが有ります。いつもおじさんちで夕飯を食べ、遊んでくれました。すごく優しい人でした。近所で捕まえたシマヘビを食べた時は無茶苦茶驚きましたが・・・。

台風26号から3年してオジサン達家族は爺さんの家の近くに引っ越しました。理由は色々有ったと思いますが、それは大人の事情であり、オジサンには分からい事です。

今でもオジサンは昔住んでいた所に行ってみる事が有ります。数年に1度位ですが、当時の面影は無く、奇麗に整備され防波堤も高くなっています。

さてさて、つらつらと書いているうちに時間となってしまいました。

地球環境が変化している昨今、今までに無い気象現象がまだまだ起こる可能性があります。予測できない災害はともかく、台風の様な数日前から接近が予想される災害なら何とか被災を回避できる可能性があります。皆さん十分ご注意下さい。早目の対策、早目の避難・・・これが被災者にならないコツです。

 

久し振りの快晴・・・Ⅱ

このところ、秋雨前線の影響やらなんやらでどうもすっきりした秋晴れが望めない日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

こんばんは、オジサンです。

東レパンパシフィック決勝で大阪選手が負けてしまい、日本中がっかりした感が有りますが、まぁ勝負事ですから、勝つ事も有れば負ける事だって有るわけで、それほど肩を落とす事も無いとオジサンは思います。大坂選手は大分お疲れの様子で、なんだかコートの中でもいつもの躍動感が見られなかった様な気がします。全米で優勝して、休む間もなく帰国、帰国したらしたで「日本人初」を掲げた報道陣に囲まれ、テレビの取材やら雑誌の取材で大忙しだった様ですねぇ。どうも日本人は何か偉業を成し遂げると、砂糖に群がる蟻のようになってしまいますが、余り関心出来る事ではない様な気がするのはオジサンだけでは無いと思います。少し放って置いてあげたいですね。好きなかつ丼や抹茶アイスを思う存分、誰にも見られる事なく食べて欲しいです・・・。

でもそれは難しい事でしょうねぇ。偉業を成し遂げれば遂げるほど、顔はマスコミに露出しますので、どこを歩いていても、どんなに変装をしても、きっとバレテしまう事でしょう。だからこそ街中で大坂選手を見掛けても大騒ぎせず、静かにスル―して欲しいのです。有名人にだってプライベートは有る訳ですから、是非周りの方もその時間を大切に思ってあげて欲しいと思います。

久し振りの秋晴れ

この前の月曜日(秋分の日)は本当に朝から快晴で、富士山も奇麗に見えていたし、空気も澄んでいて気持ちの良い休日でした。

オジサンは朝はいつもの公園、その後練習が有って、午後はブラブラと隣町をうろついていました。まぁ陽気に誘われた感じですが、結構暑くて「まだ、夏?」と思ってしまいました。

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いつもの公園の入り口付近です。朝の日差しが眩しいくらいでした。

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公園では金木犀の花が結構咲いていて、周囲は良い匂いが立ち込めていました。金木犀と言うとトイレの匂いを思い出してしまうオジサンは、やはり昭和生まれの人だと実感します。

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公園の中で、たった一輪だけ咲いていた薔薇の花です。朝の日差しを浴びて気持ち良さそうに咲いていました。

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隣町のマンションです。隣町も結構高い建物が増え、いつの間にか景色が変わってしまった様に感じます。

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隣町の有名な〇〇大社の石灯篭です。それほど古いモノでも無いと思うのですが、何となく風格があるように思えます。

何だかまたまた台風が日本列島を狙っているようで、事によると来週あたり西日本に接近しそうな予想も出ています。オジサン予報ではそれほど九州や四国に近付かい様な気もしますが、あてにはなりませんです・・・はい。

朝晩は大分涼しくなり、冷房を掛けなくても寝る事が出来ますが、まだまだ日中はあついですねぇ。今頃は一番体調を崩しやすいので、皆さん体調管理には十分ご注意召されよ・・。

2018年に亡くなった芸能人

昨日樹木希林さんの事を書いてからフッと思い、今年(2018)亡くなった芸能人(著名人)に付いてG検索してみました。

こんにちは、オジサンです。

オジサンは芸能界には疎いので、TVを見ていても「この人、生きてんだっけ?」と奥さんに聞く事が有ります。そんなオジサンですが、近年はオジサンでも知っている大物芸能人が亡くなり、一つの時代が終わって行くような感じがします。

今日はそんな有名人の中で、今年亡くなられた方々のご冥福を祈りつつ、オジサン的な思い出をツラツラと書いてみたいと思います。ただし、思い出と言っても直接ご本人を存じ上げている訳では有りませんので、メディアの中だけの話ですが・・・。

星野仙一

1月4日に亡くなられた星野仙一氏、オジサンの思い出と言えばやはり中日ドラゴンズの投手として、闘志剥き出しで投げる姿です。特に「燃える」と言われた巨人戦でのマウンド姿は「男・星野」と言う言葉がピッタリの雰囲気でした。

監督としても様々なパフォーマンスを見せ、審判にかみつく様は、まさに獅子が獲物に襲い掛かる雰囲気が有りました。

一方、人間的には非常に優しかった様で、特にオジサンの印象に残っているのが巨人軍の原辰則監督が辞める際、甲子園球場で花束を渡しながら原監督と一言、二言話すシーンです。

普段は「闘将」としての姿しか見せなかった星野仙一氏が見せた一瞬の「仏の顔」だったと思います。本当に優しい人は、その姿をなかなか見せてくれません。本当にその優しさが必要な時、ソッと仏の顔を見せるのです。

野中広務

オジサンは政治と宗教にはトント興味は無い(しかし選挙は欠かした事が無い)のですが、野中広務氏だけは忘れる事が出来ません。丁度オウムによるサリン事件が起こった時、野中氏は国家公安委員長だったと思いますが、悪に対する明確な物言いは見ていて(聞いていて)胸がすく思いがしました。確か、当初松本サリン事件の犯人と誤認された河野氏に謝罪したのも野中氏だったと思います。

オジサン的には余り政治の話しはしたくないのですが、今は野中氏の様な「燃える政治家」が居なくなったと思います。ハマコーこと、浜田幸一氏も歯に衣着せぬ物言いで好きだったのですが、今の政治家(特に現総理)は保身に走るばかりで、物事の道理が分かっていない輩が多いと感じるのはオジサンだけでは無いと思います。

スティーブン・ホーキンス博士

難病に侵されながら、宇宙の起源やブラックホールに付いて研究し、世界的に名を知られたホーキンス博士です。

オジサンは結構宇宙の謎にも興味が有って、一時色々な本を読んだことが有ります。「宇宙の端っこはどうなっているのか?」「宇宙人は居るのか?」「ブラックホールってなに?」なんて疑問が次々に湧いてきて、宇宙に関する本を読み漁った事が有ります。

ホーキンス博士の理論の中枢は知りませんが、様々な場面でホーキンス博士の事は良く目にしていました。

左とん平さん

左さんも今回亡くなられた樹木希林さん同様、わき役として欠かせない存在でした。オジサンが一番印象に残っているのは「ヘイ・ユー・ブルース」と言う曲がヒットした頃のとん平さんの姿です。とん平さんは非常にシャイな性格の様で、TVでこの曲を披露する時は、相当緊張している様でした。それでも必死に「格好をつける」とん平さんの姿は一方で面白く、一方で格好良かったと思います。

月亭可朝さん

「ボインは~」と言う、歌とも台詞ともつかない様な「唄」で一世を風靡した月亭可朝さんですが、今時あんな歌を歌ったら即刻放送禁止でしょうねぇ。

当時はその辺りが緩かったと言うか、今ほどセクハラなんて言葉が浸透していませんでしたので、皆面白がっていましたが・・。

可朝さんはプライベートでも色々有った方で、一時期ニュース番組を賑わしていました。詳しい事はネット検索で調べて欲しいのですが、オジサン的には好きな人の一人だった事は間違いありません。

衣笠祥雄さん

日本プロ野球界に偉大なる足跡を残した「鉄人」として有名な方です。

衣笠さんと言えば、連続試合出場の記録を今でもお持ちだと思います。オジサンが記憶に残っている姿で、最も印象的だったのはデッドボールを受けても平然と一塁に走る姿です。

ピッチャーを睨み付ける訳でも、当たった場所を抑えるでもなく、何事も無かった様に一塁に走る姿は「男気」を感じました。今ではなかなかこういう選手も居なくなってしまった感が有ります。直ぐに転んでなかなか立ち上がらない選手、ピッチャーを威圧的に睨み付ける選手が多くなりました。情けない話ですねぇ・・・。

西城秀樹さん

西城秀樹さんと言えば、オジサンとほぼ同年代のアイドルとして活躍された方ですが、二度の脳卒中を克服され、ステージに立ち続けた姿は印象的でした。

野口五郎さん、郷ひろみさんと共に「新御三家」(旧御三家は舟木和夫さん、橋幸雄さん、西郷輝彦さん)と言われた一人ですが、西城さんが活躍された時期、オジサンは高校生だったと思います。テニス三昧だったオジサンは、リアルタイムで西城さんの活躍を知っている訳ではないのですが、様々なヒット曲を飛ばしていた事だけは知っていました。

うちの奥さんに言わせると「新御三家の中で一番歌が上手いのに、良い曲に最も巡り会わなかった人」と言う事になるんだそうです。しかしオジサンでも知っている曲が何曲か有りますので、それなりにヒットはしていたんだと思います。

オジサンと同世代の方が亡くなるのは、なんだか妙に親近感が有ると言うか、「明日は我が身」を実感させられます。

桂歌丸師匠

桂歌丸師匠と言えば、「笑点」の名司会者としてお茶の間では有名な方でしたが、師匠の人情話は本当に泣ける話でした。オジサンは東京や横浜で何度か師匠の話を聞いた事が有りますが、独特の「間」で観客を引き込む話芸は、なかなか他に居ない気がします。

大病を患い、何回もの入退院を繰り返し、酸素ボンベを抱えての高座は見ていてもハラハラものでしたが、「これぞ芸人」を貫いた最後の噺家になるかも知れませんねぇ。

 

他にもフォークシンガーの「森田童子」さん、フランク・シナトラの元妻の「ナンシー・シナトラ」さん、大岡越前で一世を風靡した「加藤剛」さん、黒人女性歌手として名を馳せた「アネサ・フランクリン」さん、普天間飛行場問題で中央を敵に回して孤軍奮闘した「翁長雄志」元沖縄県知事奥さんの後を追う様にお亡くなりなった「津川雅彦」さん等々、今年もこれまで多くの芸能人、著名人の方が亡くなっています。

まぁある程度の年齢に達した方なら致し方なしの感も有りますが、ネットを探っていると、結構若い方も多く亡くなっているんですねぇ。驚きました。

オジサンは、出来れば後2~3年でこの世とオサラバしたいと考えていますが、残りの人生、樹木希林さんの様な自然体で暮らしたいと切に願っています。しかし、煩悩、物欲の権化の様なオジサンに、その生き方は難しい・・・とも思います。

前にも書いたかも知れませんがオジサンは「死ぬまで生きる」が目標です。これは、現代医療で、生かされるのではなく何の助けも無く生きる事を意味しています。自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考える・・・最後までこうして生きていたいと切に願うオジサンです。

 

 

 

 

久しぶりの快晴

この3連休、天気が悪く3連休最終日の今日、やっと晴れたと思ったら夏の暑さがぶり返した様な暑さでしたが、皆さんは如何お過ごしだったでしょうか?

こんばんは、オジサンです。

何だかやっと晴れたと思ったら、夏の暑さが戻り、練習中もかなりの汗をかいていました。まぁ7月~8月の狂った様な暑さに比べればまだまだましな感じはしますが、先週は最高気温が25℃前後でしたから、身体がついて行かないオジサンです。

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今日は朝から快晴と言う訳では無く、朝の内は曇っていて今にも降りそうだったのですが、ところどころに青空が見え隠れしていました。雨の日はカメラも持ち出せないのでなかなか写真も撮れないのですが、今日は久し振りにカメラを持って「いつもの公園」で写真を何枚か撮って来ました。

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夏の名残のツユクサもまだまだ元気に咲いていて、昨夜の雨に濡れた姿が美しかったです。ツユクサ花言葉は「尊敬」「懐かしい関係」なんてのが有るようです。オジサンは花言葉なんて知らないので、Gで検索してみました。

オジサンが小さい頃、海のすぐ近くに住んでいて、家の周りにはこのツユクサと浜昼顔が沢山咲いていました。今では再開発され、ツユクサも浜昼顔も殆ど見られなくなってしまいましたが、何だか原風景が消えて行く様で少し寂しいですねぇ。

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これは何の花でしょうか?残念ながらオジサンに名前は分かりませんが、非常に可憐な感じで、秋と言うよりは春を思わせる様な花です。

秋の今頃と言えば、彼岸花(曼殊沙華)やススキが頭に思い浮かびます。彼岸花もススキも大分花を咲かせていますが、写真を撮るのはもう少し先の方が良い様な気がします。

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何の葉っぱか分かりませんが、おそらくテッセンだと思います。先が丸まっていて面白い形をしていたので撮ってみました。

早く秋らしい、高い空が見たいのですが、なかなか夏が去ってくれません。秋になったらなったで夏が恋しくなるんですから、人間なんて勝手なモノです。

樹木希林さん

皆さん既にご存知だと思いますが、樹木希林さんが亡くなったんですねぇ。全身癌を告白して、それでもメディアに出続け、仕事を続けていた姿は感動にも似た何かをお茶の間に届けてくれたと思います。

樹木希林さんに付いては今日の情報番組でも多々取り上げていましたので、今更オジサン如きがトヤカク言う事は有りませんが、ちょっと視線を変えて樹木希林さんの服装について書いてみたいと思います。

樹木希林さんは芸能人ですから、メディアに出る時はそれなりのスタイリストさんが付いていたと思いますが、その服装(和洋問わず)のセンスは非常に素晴らしいモノが有るとオジサンは感じていました。別に高級ブランドを身に着けると言うのではなく、自然に、自分流を貫いていたと思います。

いつだったか、「ぴったんこカンカン」に出ていた時、娘婿の「本木さんがくれた」と言う白いシャツを「丈が長いから自分で切った」と言いながら着ていましたが、なんとも樹木希林さんらしい雰囲気で良かったと思います。

オジサンが初めて樹木希林さんをTVで見たのは・・・おそらく「時間ですよ」と言う番組だったと思います。番組中で樹木さんが発する「じゅり~」(沢田研二さんの事)と言う言葉は一時小学生の間で流行ったと思います。その後のご活躍はHP辺りで検索して欲しいのですが、色々なドラマに出ていましたねぇ。決して主役と言うのではないのですが、「いなければならない存在」だったと思います。

癌を告白してからの樹木さんは何とも言えなく力が抜けた自然体になった様に見えました。ドラマや映画では役作りで色々な顔を見せていましたが、トーク番組では本当に自然な感じで「あんな風に生きてみたい」とオジサンも思ったものです。

何だかもったいない人を亡くした感じがします。謹んでご冥福をお祈り致します。今夜は樹木希林さんのご冥福を祈って、モーツァルトの「レクイエム」を掛けて樹木さんを送ってみたいと思います。

 

オーディオ・・・真空管の話し

何だか秋雨前線が頑張っていて、すっきりしない日が続いていますが皆さんお元気にお過ごしでしょうか?

おはようございます、オジサンです。

今日日曜日も昨夜からの雨がまだ残っていて、練習ができるやら・・・できないやら、はっきりしない状態で、こうしてコメダ珈琲で更新しています。9月になったとたんに涼しさ満載の空気が日本上空を覆い、「なんだよ、もう秋になっちまったのか?」ともわせる日が続いたと思ったら、今日辺りからまた30℃越えの日が来るようで、身体も涼しさに備えたら良いのか、まだまだ暑さ対応が必要なのか・・・「どっちか、はっきりしろぃ!」と言いたくなるオジサンです・・・ハイ。

さて、真空管を使ったオーディオ装置で音楽を楽しんでいる方が、今の日本にどれくらいいるかオジサンは知りませんが、真空管販売も結構商売になっているようですから、それなりに多くのファン(マニア?)が居るのかも知れません。

若い方の中には「真空管なんて見た事もねぇよ」と仰る方もいると思いますが、オジサンが子供の頃はまだまだ真空管は主役的存在でした。その中心に座っていたのが(一般家庭で)テレビだったのではないでしょうか?ちょっと調子が悪くなるとテレビを叩いて「ホラ、直った!」と言っていたのは、まだまだ力道山が空手チョップを振りかざしていた頃です。(力道山も分からないですかねぇ・・・NET検索してください)きっと皆さんのお父さん、或いはお爺さん辺りは知っていると思います。当時の話しを自慢げに話してくれることでしょう・・・。

真空管トランジスタ

トランジスタが開発され、一般家庭用の家電製品に使われだしたのは、おそらく東京オリンピック(2020ではない)の頃だったと思います。トランジスタの最大の恩恵を受けたのは、多分ラジオだったと思います。それまで真空管で構成されたラジオは、家の上座に鎮座し、まるで神の声を聞くように皆ラジオに耳を傾けていたと思います。

真空管に変わってトランジスタが開発され、ラジオは日進月歩で小型化され、蓄電池(乾電池)の開発等も重なり、ラジオは家を飛び出し、海に山に出るようになります。今の若い方はご存知ないかも知れませんが、オジサンが若い頃は「ラジカセ」と言う若者必須の神器があり、中学の頃は「オールナイトニッポン」なんて番組を眠い目をこすりながら聞いたものです

コンピューターだって、初期の頃は真空管作動で、巨大かつ大消費電力で巨大な部屋いっぱいに真空管が林立していたと思います。それが今では手でも持ち運べる大きさに小さくなり、スマホなんて言うモノまで一般に普及しました。(スマホタブレットトランジスタでは無いですが・・・)

科学の進歩はモノを小型軽量化するんですねぇ・・・人間の中身も小型軽量化してしまわなければ良いのですが・・・。

真空管による音の違い

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真空管にも色々な種類が有って、様々な方法(手法)でオーディオに利用されていますが、ここではその事については書きません。詳しく知りたい方は、どこかのHPでも探って下さい。

真空管の魅力・・・それは何と言ってもその古めかしい姿と点灯した時の美しさ、それにも増して音の素晴らしさだとオジサンは思っています。何となく寒々とした・・・言い換えれば非常にスマートになった現代社会の中で、オジサンにとって真空管は心を癒してくれる存在です。

オーディオに利用される真空管は大きく分けて3極管と5極管が有ります(勿論他にも色々ありますが)。一般に3極管は音が優しく柔らかいのでクラシック音楽向き、5極管は切れが良く、パンチ力が有るのでJazz向きなんて言われますが、オジサンはこの説を全く信用していません。確かにこの説は定説化しているところが有りますので、全くの間違いと言う事は無いと思いますが、真空管の極数よりその設計の方が音質に影響を与えるとオジサンは考えています。

真空管製造メーカーも多々あります。古くはドイツ系(テレフンケン、シーメンス等)とアメリカ系(ウエスタン、GE等)に分かれますが、今ではロシアなどの共産圏製が多く、中国製も多々市場に送り出されています。

共産圏製の真空管はともかく、マニアの間ではドイツ系、アメリカ系真空管に人気が集まり、結構な高値で取引されていますが、その音質についてオジサンは非常に懐疑的です。と言うのは、「発売元」と「製造元」を良く調べないと、製造元が同一の場合が結構あるからです。ですから、一概に「テレフンケン製」「ウエスタン製」と言っても、出所は違う可能性が有るのです・・・。

さて、真空管のブランド(メーカー)による音質の違い・・・これは確かに有ると思います。良い、悪いは個人の判断ですから、どこのbランドが良いとか、悪いとか言う事はオジサンには言えませんが、真空管を差し替えると音質が変化する事は間違いの無い事実です。

あるブランドのモノは「柔らかく広がりが有る」、またあるブランドのモノは「引き締まった音がする」と感じる事が有ります。実際「科学的に証明しろ」とか、「裏付けを見せろ」と言われるとオジサンは貝の中に閉じこもってしまうのですが、経験的に正しいと思っています。

いつか書いたオーディオ用のケーブル同様、何の裏付けも無い話で恐縮ですが・・・。

まぁ、オーディオは個人的な趣味ですから、オーナー自身がそう感じれば良いのであって、周りがトヤカク言う事では無いのです・・。

勝手な事を書きましたが、趣味とはそう言うモノです。やっている人が良ければそれで良いのです。周りの方に迷惑を掛ける趣味は良くないと思いますが、そうでなければ本人が良ければそれで良いのです・・・仕事ではそうは行きませんが・・・・。

 

 

 

 

モーツアルト 交響曲 第40番 ト短調

大坂選手優勝の余韻がまだまだ尾を引いていますが、今日はコロッと目先を変えてクラシック音楽の話しです。

こんにちは、オジサンです。

昨日某TV曲で緊急生放送と銘打って大坂選手全米優勝の話題を特集していましたが皆さんご覧になったでしょうか?放送でも言っていましたが、確かにコーチが代わって大坂選手はとてつもない進化を遂げたとオジサンも感じます。元々フィジカル面とテクニック面はかなりハイレベルなモノを持っていましたが、それを生かし切れていないのが大坂選手の悩みだったと思います。昨年辺りの試合では、「自滅」する事が多く、自分の思った通りのプレイが出来ないと、自分自身に腹を立て、イライラしてまたミスを犯すと言った悪循環でした。それをコーチのアドバイスで一蹴したのですから、たいしたモノです。

オジサンが以前コーチングしていた女の子にも、同じ様な子が居ました。今は大きくなってオジサンの手を離れてしまいましたが、打球は非常に早く、ストローク力(特にバックハンド)は抜群でした。サーブが上手くなりたいとの事でオジサンの所へ来たのですが、確かにストロークに比べサーブは安定しない感じで、試合でもダブルフォルトを繰り返していました。

その子は非常に頭が良く、今は医学部を目指して猛勉強していると思いますが、大阪選手と同じで「完璧主義者」でした。試合で取るポイントは自らのエース(ウイナー)以外は自身の中でポイントとして認められず、ラッキーで取れたポイントはイライラの原因にしかなりませんでした。試合での仕掛けが早く、いつも厳しい所を狙うので必然、ミスも多くなります。

そんな彼女にオジサンは「もっとラリーを楽しみなさい」と何時も言っていましたが、オジサンのアドバイスを理解してくれていたかどうかは分かりません。中学3年まで一緒に練習していましたが、その頃のランキングは県で7位か8位だったと思います。

モーツアルト 40番

さて、話はコロッと変わります。モーツアルト交響曲第40番です。

オジサンが本格的にクラシック音楽を聴き始めたのは20歳を過ぎて、オーディオを本格的にいじり始めてからですから、それほど早いとは言えませんが、初めて買ったクラシックのレコードは中学2年の頃でした。

当時クラスには、必ず1人や2人は「クラシック通」と言われたオスマシ野郎が居て、こいつが結構女子にモテルんですねぇ。オジサンのクラスにもそんなオスマシ野郎が居て、「女子にモテタイ」一心でオジサンもクラシック音楽を聴いてみようと思ったのです。そしてオジサンが唯一知っていたクラシックのメロディ(モーツアルト 交響曲第40番の冒頭)を口ずさんで「これはなんて言う曲?」とそのオスマシ野郎に聴いたのです。するとそのオスマシ野郎、こともあろうに「それは、チゴイネルワイゼンだね」と抜かしたのです。この頃のオジサンは純真無垢な少年(青年?)でしたので、その言葉を信じてその日の放課後、街のレコード店に走り(自転車で)、「チゴイネルワイゼン」の入ったLPレコードを買いました。

家に帰って早速聴いてみると、全く違う曲・・・。なんとまぁ。

翌日そのオスマシ野郎の胸ぐらを掴み(なんて暴力的な事はせず)、「違う曲だったぜぇ」と言うと「ごめんごめん、それはメンデルスゾーンのVn協奏曲だった」と言い放ちました。クラシック音楽を聞きかじった事の有る方ならもうお分かりだと思いますが、これも違います。

余程オジサンの口ずさみ方が下手だったのか、ただ単に意地悪されただけなのかは数十年経った今でも分かりませんが、その時買ったチゴイネルワイゼンとメンデルゾーンのVn協奏曲のレコードはいまだに聴いています。

ちなみに、チゴイネルワイゼンはイダ・ヘンデル(Vn)のモノ、メンデルゾーンのVn協奏曲はオークレール(Vn)のモノです。

オジサン的モーツアルト交響曲第40番 3選

さて、話をモーツアルトに戻します。オジサンとこの曲の出会いはさっき書いた通りですが、いまだにオジサンはこの曲を良く聴きますし、非常に好きな楽曲の一つです。特に好きなのは第三楽章で、何となく元気が出ると言うか聴いていて「いっちょやったるか!」と言う気分にさせられます。(オジサンの勝手ですが・・)

ジョージ・セル(指揮)

クリーブランドオーケストラ

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amazon HPより拝借 写真はCDジャケット)

最初はセルが指揮したモノです。「何でセル?」と疑問に思われるクラシックファンも多いと思いますが、なぜかオジサンはこの演奏が結構好きです。オジサンが持っているのは日本盤のアナログで、当時オジサンの仲間内では「砂を咬むような音」と評されたSONY盤です。

実はこのレコード、表記は39番・40番となっていますが、オジサンが持っているレコードは、40番と41番の組み合わせになっています。オジサンの持っているモノだけがオカシイのか、当時買った人が持っているモノは全部オカシイのかは知りませんが・・・。

オジサンがこの演奏で気に入っているのはそのスピード感です。オジサンは基本遅い演奏が好きなのですが、なぜかこの演奏だけは気に入っています。確かに音質的には「???」の部分が多いのですが、それを差し引いてもこの盤は聴くに値すると思います。ただし、セルが嫌いでなければの話しですが・・・。

 

ヨーゼフ・クリップス(指揮) 

アムステルダムコンセルトヘボウ 

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amazon HPより拝借 写真はCDジャケット)

クリップスと言えばモーツアルトの権威として知られた指揮者ですが、日本ではいまいち人気が無いようですねぇ。すごく良いんですがねぇ・・・。

この演奏の特徴と言えば、なんと言ってもそのテンポの遅さだとオジサンは感じています。英の作曲家でもあり、指揮者でも有ったブリテンの演奏も比較的遅い印象が有りますがそれよりも更に遅いのではないかと思います(時間を計った事はないです)。

今オジサンが持っているレコードの中で、一番ターンテーブルに乗る頻度が高いのがこのレコードだと思います。

オットマール・スィトナー(指揮)

シュターツカペレ・ドレスデン

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amazon HPより拝借 写真はCDジャケット)

スィトナーと言えば、一時期N響の指揮者としても活躍したので、日本には結構ファンが多い様です。非常に正統な演奏で、「ちょっと硬いかなぁ」と思わせるところも有りますが、「初めて聴くモーツアルト」としてはうってつけの指揮者だとオジサンは勝手に思っています。

クリップスに続いてオジサンの好きな指揮者です。ちょっと馬面のところに愛嬌が有る感じで(すみましぇん)、余り身体を動かさずに指揮する姿を何度かTVで観た事が有ります。そう言えば、最初に買った「魔笛」のレコードもスィトナー指揮だったと思います。

 

さて、オジサン的モーツアルト交響曲第40番はいかがだったでしょうか?あくまでもオジサンの個人的な選択なので、異論、反論の有る方は多いと思います。「絶対フルベン」と仰る方、「カラヤンは外せないでしょう」と仰る方、「何でケルテスが入ってないの」と仰る方も居ると思います。まぁこれは個人的な意見ですから、読み倒して下さい。

何だか秋雨前線ががんばっていて、天気がいまいちスッキリしない日が続いています。どうやら今週末も雨予報が出ていて、梅雨が無かった分、今頑張って降っている的な感じもしますが、集中豪雨の様な災害には皆さま十分ご注意下さい。

おおさか~!!!

昨日の朝、大坂選手優勝の感激を書きましたが、その後色々な記事を読んでいて、色々な事が有った様ですねぇ・・・。

こんにちは、オジサンです。

昨日の朝、オジサンはネット中継で試合を追っていましたので、セリーナの暴言やラケット破壊はその後の情報番組で知りました。残念ながらオジサンはWowowと契約していませんので、実況で試合を知るにはネット中継しか手段が無いのです。

今朝(9/10)になって情報番組やネット情報で色々な事が有ったのを知りましたが、大荒れの決勝戦だった様ですねぇ。

試合中のコーチン

前にも書いた事が有りますが、テニスの場合試合中のコーチングは認められていません。選手はコートに立ったら、自分一人で何から何までやらなくてはならないのがテニスの試合です。女子の国際大会では、オンコートコーチングと言って、1試合に何回かはコートチェンジの時にコーチがコートに来てコーチングをする事が認められていますが、それ以外は認められていません。このルールはある程度形骸化している様なところも有り、スパーショットを決めた選手がスタンドのコーチ等に向かってガッツポーズをやったりしますので、非常にアヤフヤな部分が有るとオジサンは感じています。

今回のセリーナにその様な違反が有ったか否か、それは審判の判断ですから何とも言えませんが、審判によってその判断基準が異なるのはマズイと思います。

セリーナの優しさ

オジサンは試合全てを見ている訳ではないので何ともコメントのしようがないのですが、情報番組で見る限り、試合後のセリーナは非常に紳士的(?)な対応をしていたと思います。誰だったか、何時だったかも忘れましたが、試合後の握手も、表彰式もボイコットした選手が以前いましたねぇ。男子選手だったと思いますが・・・。

試合が終わり、ネットの所で大坂選手を抱きしめたセリーナからは、「母親の優しさ」の様なモノをオジサンは感じました。歳の差16歳、セリーナは母親になったばかりですから・・・。その後の表彰式でも大坂選手の横に立ったセリーナは、母親的な目線を大坂選手に送り、「あなた、良くやったわ」「でも、次は絶対私が勝つわ」と言っている様に見えました。

大ブーイングの中で

表彰式の時の大ブーイングはすごかったですねぇ・・・。Big4の大会の表彰式で、あんなブーイングを聞いた記憶が有りませんです・・ハイ。

大坂選手は優勝インタビューの中で「私が勝ってしまってごめんなさい」的な発言をしていましたが、彼女はそんな事を言う必要は全くないと思います。正々堂々戦って得た勝利ですから、胸を張ってトロフィーを受け取って欲しかったです。

それにしてもアメリカの観客は世界に醜態をさらしてしまったと思います。「セリーナに勝って欲しかった」気持ちは分かります。試合中にセリーナを応援する事は大いに結構だと思いますが、試合が終わったら素直に勝者を祝福して欲しかったです。

オジサンが大坂選手の立場だったら、「私が勝って、なにが悪いの!」位言っちゃいそうですが、そんな事を言わない大坂選手はオジサンよりずっと大人なんですね。

世代交代・・・?

昨日の大坂選手の試合ぶりは、女子の世代交代を思わせる様な闘いぶりだったとオジサンは思います。世界の女子テニス界は、男子の様な「4強」が居るわけでなく、ウイリアムス姉妹が一時世界を席巻していましたが、それ以外は色々な選手が短期間で世界1位の座を奪い合って来ました。

勿論昨日の試合はセリーナの感情の昂りが招いた結果とも言えますが、それを抜きにした、純粋にテニスの技術、戦術、戦略、メンタル面でも大坂選手はセリーナを越えていた様な気がします。

この試合を切っ掛けに、大坂選手の時代を築き上げて欲しいと願うのはオジサンだけでは無いと思いますが、勝てば勝つほど研究され、弱味を突いて来るのがスポーツの世界です。例え世界No1になったとしても、更に進化を続け、周りの過剰な期待と言うプレッシャーにもうちかって行かなければなりません(きびし~)。

大坂選手はまだまだ若いし、伸びしろはまだまだ有ると思いますが、周りは余り過剰な期待をせず、例え負けたとしてもそれを受け入れて頂きたいと切に願うオジサンです。

さてさて、大坂選手の活躍で「号外」も出ましたが、既に全米は終わった事ですから、それはそれとして、次のステップに向けて少し休んで、大好きな「かつ丼」「カツカレー」「とんかつ」を食べて頂きたい・・・。次からは追われる立場ですから・・・。