2018年に亡くなった芸能人

昨日樹木希林さんの事を書いてからフッと思い、今年(2018)亡くなった芸能人(著名人)に付いてG検索してみました。

こんにちは、オジサンです。

オジサンは芸能界には疎いので、TVを見ていても「この人、生きてんだっけ?」と奥さんに聞く事が有ります。そんなオジサンですが、近年はオジサンでも知っている大物芸能人が亡くなり、一つの時代が終わって行くような感じがします。

今日はそんな有名人の中で、今年亡くなられた方々のご冥福を祈りつつ、オジサン的な思い出をツラツラと書いてみたいと思います。ただし、思い出と言っても直接ご本人を存じ上げている訳では有りませんので、メディアの中だけの話ですが・・・。

星野仙一

1月4日に亡くなられた星野仙一氏、オジサンの思い出と言えばやはり中日ドラゴンズの投手として、闘志剥き出しで投げる姿です。特に「燃える」と言われた巨人戦でのマウンド姿は「男・星野」と言う言葉がピッタリの雰囲気でした。

監督としても様々なパフォーマンスを見せ、審判にかみつく様は、まさに獅子が獲物に襲い掛かる雰囲気が有りました。

一方、人間的には非常に優しかった様で、特にオジサンの印象に残っているのが巨人軍の原辰則監督が辞める際、甲子園球場で花束を渡しながら原監督と一言、二言話すシーンです。

普段は「闘将」としての姿しか見せなかった星野仙一氏が見せた一瞬の「仏の顔」だったと思います。本当に優しい人は、その姿をなかなか見せてくれません。本当にその優しさが必要な時、ソッと仏の顔を見せるのです。

野中広務

オジサンは政治と宗教にはトント興味は無い(しかし選挙は欠かした事が無い)のですが、野中広務氏だけは忘れる事が出来ません。丁度オウムによるサリン事件が起こった時、野中氏は国家公安委員長だったと思いますが、悪に対する明確な物言いは見ていて(聞いていて)胸がすく思いがしました。確か、当初松本サリン事件の犯人と誤認された河野氏に謝罪したのも野中氏だったと思います。

オジサン的には余り政治の話しはしたくないのですが、今は野中氏の様な「燃える政治家」が居なくなったと思います。ハマコーこと、浜田幸一氏も歯に衣着せぬ物言いで好きだったのですが、今の政治家(特に現総理)は保身に走るばかりで、物事の道理が分かっていない輩が多いと感じるのはオジサンだけでは無いと思います。

スティーブン・ホーキンス博士

難病に侵されながら、宇宙の起源やブラックホールに付いて研究し、世界的に名を知られたホーキンス博士です。

オジサンは結構宇宙の謎にも興味が有って、一時色々な本を読んだことが有ります。「宇宙の端っこはどうなっているのか?」「宇宙人は居るのか?」「ブラックホールってなに?」なんて疑問が次々に湧いてきて、宇宙に関する本を読み漁った事が有ります。

ホーキンス博士の理論の中枢は知りませんが、様々な場面でホーキンス博士の事は良く目にしていました。

左とん平さん

左さんも今回亡くなられた樹木希林さん同様、わき役として欠かせない存在でした。オジサンが一番印象に残っているのは「ヘイ・ユー・ブルース」と言う曲がヒットした頃のとん平さんの姿です。とん平さんは非常にシャイな性格の様で、TVでこの曲を披露する時は、相当緊張している様でした。それでも必死に「格好をつける」とん平さんの姿は一方で面白く、一方で格好良かったと思います。

月亭可朝さん

「ボインは~」と言う、歌とも台詞ともつかない様な「唄」で一世を風靡した月亭可朝さんですが、今時あんな歌を歌ったら即刻放送禁止でしょうねぇ。

当時はその辺りが緩かったと言うか、今ほどセクハラなんて言葉が浸透していませんでしたので、皆面白がっていましたが・・。

可朝さんはプライベートでも色々有った方で、一時期ニュース番組を賑わしていました。詳しい事はネット検索で調べて欲しいのですが、オジサン的には好きな人の一人だった事は間違いありません。

衣笠祥雄さん

日本プロ野球界に偉大なる足跡を残した「鉄人」として有名な方です。

衣笠さんと言えば、連続試合出場の記録を今でもお持ちだと思います。オジサンが記憶に残っている姿で、最も印象的だったのはデッドボールを受けても平然と一塁に走る姿です。

ピッチャーを睨み付ける訳でも、当たった場所を抑えるでもなく、何事も無かった様に一塁に走る姿は「男気」を感じました。今ではなかなかこういう選手も居なくなってしまった感が有ります。直ぐに転んでなかなか立ち上がらない選手、ピッチャーを威圧的に睨み付ける選手が多くなりました。情けない話ですねぇ・・・。

西城秀樹さん

西城秀樹さんと言えば、オジサンとほぼ同年代のアイドルとして活躍された方ですが、二度の脳卒中を克服され、ステージに立ち続けた姿は印象的でした。

野口五郎さん、郷ひろみさんと共に「新御三家」(旧御三家は舟木和夫さん、橋幸雄さん、西郷輝彦さん)と言われた一人ですが、西城さんが活躍された時期、オジサンは高校生だったと思います。テニス三昧だったオジサンは、リアルタイムで西城さんの活躍を知っている訳ではないのですが、様々なヒット曲を飛ばしていた事だけは知っていました。

うちの奥さんに言わせると「新御三家の中で一番歌が上手いのに、良い曲に最も巡り会わなかった人」と言う事になるんだそうです。しかしオジサンでも知っている曲が何曲か有りますので、それなりにヒットはしていたんだと思います。

オジサンと同世代の方が亡くなるのは、なんだか妙に親近感が有ると言うか、「明日は我が身」を実感させられます。

桂歌丸師匠

桂歌丸師匠と言えば、「笑点」の名司会者としてお茶の間では有名な方でしたが、師匠の人情話は本当に泣ける話でした。オジサンは東京や横浜で何度か師匠の話を聞いた事が有りますが、独特の「間」で観客を引き込む話芸は、なかなか他に居ない気がします。

大病を患い、何回もの入退院を繰り返し、酸素ボンベを抱えての高座は見ていてもハラハラものでしたが、「これぞ芸人」を貫いた最後の噺家になるかも知れませんねぇ。

 

他にもフォークシンガーの「森田童子」さん、フランク・シナトラの元妻の「ナンシー・シナトラ」さん、大岡越前で一世を風靡した「加藤剛」さん、黒人女性歌手として名を馳せた「アネサ・フランクリン」さん、普天間飛行場問題で中央を敵に回して孤軍奮闘した「翁長雄志」元沖縄県知事奥さんの後を追う様にお亡くなりなった「津川雅彦」さん等々、今年もこれまで多くの芸能人、著名人の方が亡くなっています。

まぁある程度の年齢に達した方なら致し方なしの感も有りますが、ネットを探っていると、結構若い方も多く亡くなっているんですねぇ。驚きました。

オジサンは、出来れば後2~3年でこの世とオサラバしたいと考えていますが、残りの人生、樹木希林さんの様な自然体で暮らしたいと切に願っています。しかし、煩悩、物欲の権化の様なオジサンに、その生き方は難しい・・・とも思います。

前にも書いたかも知れませんがオジサンは「死ぬまで生きる」が目標です。これは、現代医療で、生かされるのではなく何の助けも無く生きる事を意味しています。自分の足で歩き、自分の口で食べ、自分の頭で考える・・・最後までこうして生きていたいと切に願うオジサンです。