あれから・・・10年

今日は春らしい、暖かい日になっていますが、皆さんお住まいの地域は如何でしょうか?

こんにちは、オジサンです。

もう10年・・・やっと10年・・・思いは人それぞれでしょうが、東日本大震災で被災された方々の心の傷は、そう簡単には癒えないと思います。

オジサンも家族が事故に遭い、四股の自由を失ってしまい、まだ2年ですが、いまだに「何とかならなかったのか?」と言う思いは全く消えていません。

家を流され、家族を流され、自らも流されて恐ろしい思いをした方、悲しい思いをされた方々に心からご冥福とお見舞いを申し上げます。

オジサンには何のお手伝いも出来なかったし、これからも何もできないと思いますが、一日も早く各地域が復旧し、東電の原発事故の後始末が終え、故郷に戻る日が来ることを心より願っています。

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あの日、オジサンが横浜で経験した事は以前このブログで紹介した通りですが、あの日は本当に寒かった・・・。

今日のような暖かな春の日ではなく、横浜では午後4時頃、雪まで降る始末で、横浜駅の混乱、運河沿いで見た津波、避難場所だったパシフィコ横浜の混雑状態、携帯電話がつながらなかった事、新横浜駅の床の冷たさは今でも鮮明に覚えています。

映像では、津波の映像は勿論、仙台の火事、翌日の海沿い地域の惨状もいまだ忘れる事が出来ません。後日になりますが、東電福島第一原発の事故も忘れる事が出来ない出来事です。

震災翌年、福島県いわき市に仕事でお邪魔した時、水戸駅を過ぎた辺りからブルーシートを屋根にかぶせた家が目立ち始め、勿来(なこそ)駅に着くまでその光景が続いていた事も鮮明に覚えています。

オジサンは会社で防災担当もやっていたので、結構地震、浸水、火災などの疑似体験はしていましたが、やはり疑似とリアルではその衝撃は全く違うと感じたのも10年前の3月11日でした。まぁ被災時にどのような行動が必要かは疑似体験でも十分まかなえると思いますが、実際に揺れている時の対処・・・これは疑似体験では得られないモノだと痛感しました。

なぜなら、疑似の場合は、絶対安全が保障されているから、気持ちの中のどこかに「安心感」が有ります。しかし、リアルではその保証は何も無く、いつ自分が「犠牲者」になってもおかしくないからです。

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さて、今年も3月11日が来て、防災に対する気持ちを新たにしなければ・・・と自分に言い聞かせているオジサンです。万が一の時、車椅子の家族を安全な所にどうやって移動させ、避難所ではどうすれば良いのか・・・・頭を悩ませています。

 

今年も紫陽花が芽吹く季節となり、日増しに暖かさを実感できる日が来る季節となりました。被災された方、ご家族を亡くされた方、今も避難先で不自由な暮らしを強いられている方々に心よりお見舞い申し上げます。

何もできなくで、ごめんなさい。