野村克也氏逝く

今週末は季節外れの暖かさになるようで、地域によっては春一番が吹きそうな気配も有るようです。

こんばんは、オジサンです。

野村克也氏が急逝したニュースが昨日、今日の情報番組を賑わしていました。野村克也氏と言えば、南海(現ソフトバンク)時代に選手として活躍し、監督としてもヤクルト、阪神楽天と実績を残した方でした。

オジサンはヤクルトファン

実はオジサン、長年のヤクルトファンです。オジサンの年齢の方は大概巨人ファンの方が多いのですが、オジサンはへそ曲がりな性格なのでヤクルトファンです。

今からもう40年近く前になりますが、オジサンが住んでいた所から神宮球場までは電車1本で行かれ、良く神宮球場へ野球を見に行っていました。

当時は神宮外苑の野球場で選手の練習風景を見る事が出来、フェンスに張り付いて試合前の練習風景をみたものです。

その頃活躍していた選手は、安田投手、若松選手、船田選手辺りが一番記憶に残っています。若松選手は、オジサンの転勤先の松本市(長野県)の駅前でばったり会った記憶が有ります。当時ヤクルトは松本市営球場で年に1試合か2試合を行っており、松本駅前のホテルに選手が泊まっていました。

オジサンが丁度仕事に向かうために駅前を歩いている時、向こうから何人かのヤクルトの選手が歩いて来ました。皆ユニフォーム姿だったので直ぐにそれと分かったのですが、その先頭を歩いていたのが若松選手でした。

オジサンが「若松さんですか」と声を掛けると「ハイ」と気さくに答えてくれ、サインをせがむと直ぐに応じてくれました。他の選手は先に歩いて行ってしまったので、サインはもらえませんでしたが、若松選手のサインは今でも手元に有ります。

思い出の一打

長いヤクルトファンの歴史の中で、最も印象に残っているのが1992年の日本シリーズ第1戦で放たれた杉浦選手の代打満塁サヨナラホームランです。

オジサンはこの時、ライトポールのすぐ脇で観戦していましたが、杉浦選手が打った瞬間、球場全体が静まり返り、打球がライトスタンドに落ちた瞬間「うぉー」とも「ギョエー」ともつかない、悲鳴のような大歓声が起こったのをよく覚えています。

知らず知らずのうちにオジサンの目にも涙があふれ「すぎうら~!」と叫んでいました。

普通杉浦選手の打球は速く、ホームランの時でもアッと言う間にスタンドに突き刺されのですが、この時のホームランは奇麗な放物線を描き、ライトスタンド中段(?)に静かに落ちた記憶が有ります。

確かこの年は日本一を逃したと思いますが、野村監督としてヤクルトは3回日本一になっていると思います。オジサンはその内2回、優勝の瞬間に立ち会う事が出来ました。

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沢山の思い出を有難う

野村監督がヤクルトを率いた9年間(だった?)、色々な思い出を頂きました。勿論ご本人と話した事も有りませんが、当時まんねんBクラスだったヤクルトを3回も日本一にしてくれた思い出は忘れる事が出来ません。

オジサンは今もヤクルトファンですが、今年の高津監督には大いに期待しています。オジサン個人としては古田さん辺りにお願いしたいところですが・・・。

高津さんの現役時代に投げていたエグイシンカーのように、相手の裏をかくような采配を見てみたいものです。

オジサンは今、野村克也氏の為にフォーレのレクイエムとモーツァルトのレクイエムを掛けながらこれを書いています。

野村克也氏のご冥福と、今年のヤクルトの活躍(優勝とは言わない)を心から願っています。