Let's go SHIMANAMI-KAIDO 最終回

何だか、東海から関東地方に掛け、日照時間が例年の1割程度になっている様ですねぇ。

こんばんわ、オジサンです。

オジサンの住む地方も確かに日照時間が短く、お天道様の顔をしばらく見ていない気がします。このままではコメや野菜の生育に支障が出てしまうのでは・・・と農家でもないオジサンまでもが心配になるほどです。

その割に雨の量もそれほどではない様な気がしますが、西日本・・・特に九州地方は集中豪雨で大変でしたね。昨年の七夕豪雨程ではなかったものの、各地で河川が氾濫した映像をオジサンも見ました。雨の降り方がオジサンの小さい頃(半世紀以上前)と違って、一時に大量の雨が降るようになったと思いますが、皆さんの住む地方はどうでしょうか?

さて、しまなみ海道の話しも今回が最終回です。既に1ヵ月以上の日が経ってしまい、記憶の糸がブツブツと切れていますので、ちょっと話が繋がらない部分も有るかも知れません。ご容赦ください。

淡路島・・・野島断層保存館

1995年1月17日、オジサンは何時ものように5時頃起き、出勤の準備を整えている時、目に飛び込んできたのが神戸の街が火に包まれた映像でした。最初はリアルとは思わず「朝からエグイ映画やってるなぁ」と思いました。その映像がLiveであることに気付くまで、少しの間が有ったと記憶しています。

阪神淡路大震災は、犠牲者6000人超を数え、神戸、淡路を中心とした地域に甚大な被害をもたらしました。オジサンと仲が良かった同じ会社の先輩も西宮で被災し、幸い家族は全員無事でしたが、その時の事を後日聞かされ、鳥肌が立った事を覚えています。

その阪神淡路大震災の爪痕である「野島断層保存館」を見学して、自然の力の大きさを改めて知りました。

野島断層保存館・・・奥さんは以前友人と行った事が有った様ですが、オジサンは全く初めての経験です。以前、防災の勉強のために神戸市役所や神戸市内の小中学校の見学に行かせて頂いた事は有りましたが、それらは既に復旧が進んだ後の事ですから・・。

野島断層を見て、改めて当時被災された方々のご冥福を祈る気持ちになりました。

f:id:tenikichi21:20190709191948j:plain

これは野島断層に行く前、どこかのSAで食べた「たまねぎラーメン」です。淡路島と言えばタマネギが有名だそうで、どこへ行っても「たまねぎ○○」が売っていました。奥さんは「たまねぎスープ」「たまねぎドレッシング」「たまねぎソース」をしこたま買い込み「お土産にする」と張り切っていましたが、Copenのトランクはたまねぎで一杯になり、帰路はオープンにすることが出来ませんでした。

帰路

野島断層保存館を見学し、自然災害の恐ろしさを実感したオジサンは、今回の旅行の最終宿泊地「淡路島」に投宿しました。

ホテルに付いて最初に驚いたのは「水道水がしょっぱい」事です。確かに海に囲まれた島ですから、水がしょっぱいのも頷けるのですが・・・これではコーヒーも飲めないし、勿論飲料水として飲むこともできません。そこで、夕飯を食べに出るついでにスーパーで飲料用の水を入手しました。ホテルによって違うのかも知れませんが、皆さんも淡路島に行ったら最初に水をチェックして下さい。

夕飯を食べ、コーヒーを飲んでその日も直ぐに寝ました。朝まで何も知らず、ぐっすり寝ましたが、やはりいつも通り5時には起きてしまい、ゴソゴソやっていると奥さんも目を覚まし「はらへった~」と一言。他に言う事ないのかねぇ???

ホテルを7時に出て、高速に乗り、神戸、大阪と順調に走り


抜けましたが、滋賀県に入ったとたんに渋滞にハマりました。工事渋滞でしたが、抜けるのに1時間半も掛かってしまい、二人とも無口になっていました。

琵琶湖の南側で渋滞から解放され、そこからは再び順調に進みました。草津JCから三重県方面に進み、一路名古屋方面を目指しました。

本来なら行く時に通った湾岸線を走った方が早いのですが、奥さんの「名古屋城が見たい」の一言で名古屋方面にCopenを向けた次第です。とは言っても名古屋市内を抜けて名古屋城まで行くのはしんどかったので、高速の上から見える可能性に掛けたのですが、残念ながら見えませんでした。

f:id:tenikichi21:20190709192711p:plain

やはりお伊勢さんの近くへ来たらこれを食べなくちゃと言う事になり、途中のSAで名物「赤福」を頂きました。8個入りを二人でペロリと平らげ、「さ~て、次は何を食べるかな」と言う奥さんを引きずってCopenに押し込みました。放って置けばその辺に生えている草木まで食べそうで、恐ろしくなります。

病院へ

名古屋から愛知県を抜け、無事静岡県の県境を越えたのが13時頃でした。浜松SAで昼食を摂り、再び走り出しましたが、このまま順調に行けば16時過ぎには家族の待つ病院にたどり着ける事が確実になりましたので、病院に向かって走りました。

1週間振りに見た家族の顏・・・なんだかお互いホッとした様な顔をしていたと思います。元気な家族の顏を見て、オジサンも胸を撫でおろしました。

たった6日、されど6日の旅行はこうして終わりを告げました。奥さんは大満足だった様子で、「あそこの〇〇が美味しかった」とか「うず潮がすごかった」等と家族に話しかけていました。まぁ今回は奥さんが満足してくれればそれで良かったと思います。

次はいつ行けるか分かりませんし、もう二度と行けないかも知れませんが、チャンスが有れば、またCopenをオープンにしてどこかへ出掛けたいと思っています。オジサンは「退職したら、東北6大祭りを1年の内に回る」計画を立てた事も有りましたが、実現は難しそうです。何と言っても1ヵ月以上掛かりますから・・・。

まぁ、青森のねぶたと秋田の竿灯だけでも見たいとは思いますが・・・。