真に音を決めるもの

昨日、オジサンの目指す音について書きましたが、何となく書き足りない思いがフツフツと沸き上がり、それが何なのかを考えていましたが、やっとその正体が見えてきましたので、今日は昨日の続きです。

こんばんは、オジサンです。

オジサンが書き損ねていた事・・・それはソースの重要性です。ソースと言ってもウスターやとんかつでは有りません。(あたりまえじゃ!つまらんこと言うな!)

オジサンは40年の長きに渡って、ほぼアナログレコード(以下 レコード)だけを相手にしてきました。最初の内はFM放送やカセットテープもソースに加えた事もありましたが、ほとんどレコードとの付き合いしかありません。しかもオーディオをいじり始めてからは聴く音楽はクラシックにほぼ限定(時にはJazzも聴きますが)、しかもMozartとBachが大半を占め、ほかの作曲家の作品は時々しか聴きません。

今もBachのカンタータ第6番が蚊の鳴くような音で鳴っています。Fritz-Werner指揮の仏ERATO盤です。

音源の大切さ・・

昨日も書いた通り、オーディオは複合器械ですから、どの部品をとってもそれ単独では音が出ません。音源(CD、レコード等)、プレイヤー、アンプ、スピーカー(イヤホン)等、必要な部品が揃って初めて音が出てきます。

昨日は「部品の重要さ」みたいな事ばかりに終始してしまい、最も大切な音源について書くのを忘れてしまいました。

オーディオは高価なモノを揃えれば良い音がすると言う事は無く(結果的に高価になる事は有りますが)、良い音を得るのはリスナーの努力と知恵と忍耐力によって生まれるモノだとオジサンは考えています。

しかし、どれほど努力と知識と忍耐力を持って、何年もローンレンジャーで有り続けたとしても音源がよろしくなければそれらは全て徒労に終わる事になります。

オジサンの師匠(師匠がやたら出てきますが、オジサンにとって師匠は偉大なのです)は事あるごとに「例えば10万使える金が有ったら、レコードに7万円、オーディオに3万円遣え」と口を酸っぱくして言っていました。今ならオジサンもこの意味はよく分かりますが、若造(20代)の頃は良い機材、高い部品が欲しくて仕方ありませんでした。言ってみればレコードなんて日本盤のしかも廉価盤(安い盤)で十分だと思ってたのです。これが大きな勘違いだったと心底思えたのはオーディオを初めて10年近く経った頃だったと思います。

それでも師匠やパパゲーノマスターの香川さん、Bachに詳しいF君、更には先日登場した有名音楽大学の学長だったE教授の教えを渋々ながら守ったお陰で、レコードはそれなりに良いモノ(オジサン的に)が揃ったと思います。

彼のオーディオ、音楽マニアだった五味康祐氏は、その著書の中で「レコードは所有枚数を競うのではなく、何を持っているかが重要である」と述べていますし、別の著書では「何を残し、何を捨てたかが重要である」とも述べています。

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これはElisabeth-Schwarzkopf(エリザベート・シュワルスコップ)の歌うMozartオペラアリア集です。コロンビアの盤ですが、非常に良い演奏と音質でオジサンが大好きな1枚です。

例えばこのレコード、後に仏Patheから再発売されています。リファレンス版と称するシリーズの1枚として発売された物ですが、音質的には全く違います(オジサンの家の装置では)。古い盤の方が良い音がします。

レコードはその製造方法の関係で、できる限り初期のプレスの方が良い音がします。レコードは言ってみればスタンプみたいなモノですから、スタンプも回数を重ねればスタンプ自体が疲れてしまい、角が丸くなると言うか、音質的には緩くなる印象が有ります。「では、スタンプを作り直せばいいじゃん」と思うかも知れませんが、コスト的な事を考えればなかなかそう簡単には行かないのが現実です。従ってマニアの方は(オジサンはマニアではない)「初期盤」を血眼になって探し、金にいとめを着けず購入するのです。

まぁオジサンは貧乏ですから、1枚5000円以上の金を出してレコードを買った事は有りませんが、時には心底「欲しい」と思ったレコードも有りました。

何をもって「良し」とするか・・・

とは言っても、何でもかんでも古いモノが良いなんて言うのは単なる懐古趣味です。確かに古いモノには良い(造りが良い)モノが多い事も確かですが、だからと言って何でもカンでも古けりゃ良いと言うものではないのです。

音源の良し悪しはどう決めるのか・・・?それは非常に重要なのですが、オーディオの音質同様、決めるのはあくまでもリスナー個人です。オーディオ(再生音楽)は誰かに聴かせるものではなく、あくまでもリスナー個人のものですから、リスナー個人が「良し」と思えばそれが日本盤の廉価盤でも良いのです。

しかし、長年多くを聴いているとやはり日本盤、それも廉価盤の多くの音は「薄い」という事になんとなく気付いてしまうのも事実です。先ほど書きました通り、レコードの製造過程の宿命で、プレスを重ねれば重ねるほど音質は犠牲になって行くわけですから、既に元を取って、更に儲けを上積みしようとする廉価盤は残念ながらそのほとんどは良い音がしません。中には「はっ」と耳を覚ますような美音を出す廉価盤も少なからず存在することは認めますが、その廉価盤と初期盤を比べれば・・・。結果は歴然です。

オーディオはカット&トライであることは先日書きましたが、レコードもまさしくカット&トライで、最初の内はどのレーベル、どのプロデューサー、どの録音技師のモノが自分の感性に合致するかは分かりません。従って、買って、自家の装置で鳴らして初めて良し悪し(好き嫌い)が分かるのです。

レコードの良し悪しなんて誰にも結局は分からないし、分からないからこれだけ多くのレーベル、演奏家等が存在するのではないでしょうか?

オジサンちの、

   オジサンが良いと思うレコード

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珍しい事にSchubertです。Olbertz(P)とSuske(Vn)が組んだP五重奏曲、日本では「鱒」の愛称で親しまれている曲です。この盤は旧東ドイツの盤で、東西ドイツ統一(1990年)後、一時期大量に東ドイツのレーベルが中古市場に出回った時に入手したものです。

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またまた珍しくBeethoven Vn協奏曲です。Campoli(Vn)、指揮はKripsです。オジサンはKripsが好きで、このほかにもMozartの後期交響曲後宮からの誘拐も良く聴きます。これは英Decca盤で、MONO録音ですが、むせび泣くような第二楽章が聴きものです。

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やっとBach の登場です。残念ながら初期盤では有りませんが、非常に優れた音のする仏Valoisの盤です。曲目は無伴奏チェロソナタで、演奏はHenri-Honegger(アンリ・オネゲル)です。Honeggerの演奏は非常にゆったりとしていて、音楽に身を任せる事が出来る数少ない演奏家だとオジサンは勝手に思っています。

無伴奏チェロ、日本ではCasals(カザルス)の盤に人気が集中しているようですが、オジサンはどうしてもCasalsに馴染めず、30代半ばでCasalsとは決別してしまいました。

この盤はCasalsとの決別を決定的にした一枚です。

今はCDも発売されている様なので、気が向いたら聴いてみて下さい。カザルスとは対極に有るような演奏だとオジサンは思います。

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もういっちょ、Bachです。かの有名なブランデンブルク協奏曲です。指揮は英が誇る作曲家で指揮者のBritten(ブリテン)です。盤は英Decca盤で、確かウイスキーの製造所だったか貯蔵所だったか(木造)で録音していると思います。

オジサン的には少し残響(響き)が多すぎる感はありますが、非常に良い、聴いていて楽しい演奏です。

 

さて、いかがだったでしょうか?

オジサンは長年再生音楽(オーディオ)を趣味にしてきて、やっと再生音楽の何たるかが少しだけ分かって来ました。いつか書いたと思いますが、やはり何でも最初(入り口)が肝心だと言う事です。

以前は音の入り口=レコードプレイヤーシステムみたいなことを書きましたが、大きな勘違い・・・・間違いです。

音の入り口はレコード等のソースでした。訂正してお詫びいたします。