1980年以降のクラシック音楽演奏家

先週はまったく春を通り越して、初夏のような陽気の日が続き、今朝は一転してこの時期らしい寒い朝となりましたが、皆さん体調を崩していませんか。

こんにちは、オジサンです。

世間的には新型コロナ(COVIT-19)が各地で繁殖しているようで、都会に住む方は満員電車に乗るのも怖いと感じているんじゃないでしょうか。幸いオジサンの住む田舎町は飛び越えているようですが、いつ何時・・・と思うとオチオチ外出もできません。まぁ、基本オジサンは籠るのが好きですから、その点は余り心配ないのですが・・・。

と言いつつ、先日市の図書館へ行って来ました。最近本も高くて、なかなか買う気になれないのですが、図書館なら無料で貸してくれるのでありがたいです。

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オジサンが借りた本はこの本です。相変わらずオーディオや音楽(レコード)に関する本ばかり読んでいますが、これが結構面白かったのです。レコードの歴史は、知っているようで知らない部分が多かったり、演奏家とレコード会社とのやり取り、軋轢なんかも書いてありました。

新しいレーベル(レコード会社)が出来た経緯や、幻に終わったレコーディングなども掛かれていたり、今では有名になった指揮者の成り立ちなども書かれています。オジサンが知らなさ過ぎるのかも知れませんが・・・。

この本の著者によると、クラシックレコード(CD含む)はレコード創成期以来の偉大なる演奏家によって既に(1980年頃には)「名演奏」は確立され、それ以降の演奏家はそれまでの演奏家がやらなかった様な・・・時には奇抜な・・・演奏をしなければその演奏に価値を見出す事は出来なくなった(とオジサンは理解した)と書かれています。

世界的に有名なヴィバルディの「四季」は最も多い時で400タイトルのレコード(CD含む)が発売され、リスナーは「何を選んだら良いか」と頭を悩ませていたようです。

レコード(CDは含まない)全盛の時代(1960~70年代半ば?)、ヘビーなリスナーは気に入った楽曲については複数の演奏家のレコードを所有し、演奏の違いや解釈の違いを聴き比べていました。オジサンもその例に漏れず、「魔笛」「クラリネット協奏曲(モーツァルト)」「クラリネット五重奏(モーツァルト)」「無伴奏チェロ(バッハ)」「無伴奏バイオリン(バッハ)」等のお気に入りの楽曲は複数の演奏家のレコードを所有しています。確かに演奏家によって雰囲気や解釈等が異なりますので、それなりに楽しむ事は出来ます。

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バッハ作曲のゴールドベルク変奏曲もその中の一つで、G・グールドの後録音が最も気

に入っている一枚なのですが、55年録音のモノに加え、アンドラーシュ・シフの盤も聴いています。

苦難の時代

クラシック音楽(いつの時代までをクラシック音楽と定義付けるか分からないが)は新しい楽曲など、新発見でもない限り現れる事は無く、これまでに発見又は受け継がれた楽曲は既に多くの20世紀の演奏家によって分析され、録音されてしまっています。

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これはオジサンが所有する「魔笛」レコードの中で、最も古い録音で、オリジナルはSPです。確かに音質はその後のモノに比べれば劣る事は否めないのですが、その演奏はその後の演奏家とそれほど大きな違いは有りません。

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これは英DECCA全盛の時代、かの有名なカルーショーが手掛けたショルティ盤です。確かに音質では(オーディオ的には)ビーチャム盤より優れていると思いますが、果たして演奏の内容はどうなのでしょう?

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これはマウエルスベルガー指揮のマタイ受難曲(バッハ)ですが、一般的にクレンペラー盤が優秀録音とされています。クレンペラー盤も既に録音から数十年経ちますが、いまだにそれを超える演奏(録音)が出て来ていないのは残念な事です。

旧録音か新録音か

このようにクラシック音楽の場合、同じ楽曲を何度も何度も演奏家を替えて(時には同じ演奏家が)録音されるわけです。従って、新しく録音しようとする演奏家はそれまでに録音されたモノとは異なるアプローチで楽曲に挑むのですが、同じことをやっていてはレコード(CD)はまったく売れない事になってしまいます。

そこで奇抜な演奏(新解釈)をする(しなければならない)のですが、過去の演奏に比べ新解釈がリスナーにとって優れている事は稀で、ほとんどの場合は失敗に終わっているのが現実だとオジサンは思います。

しかし、先ほども書いた通り、旧演奏家と同じ事をやったとしたら・・・価格の安い旧演奏家の方をリスナーは選ぶでしょう・・・。

先の本にも書かれていましたが、クラシック音楽の新録音はレコード会社にとって「お荷物」で有り、既に(1990年以降?)面白みのない分野になってしまったのでしょう。

今後のクラッシクレコード(CD)

クラシック音楽の録音は(特に大編成もの)強烈な経費が掛かります。その割にペイしない分野であるがゆえに、レコード会社は二の足を踏むに違いなく、スタジオ(録音場所)を確保して、人を集め、機材を準備する録音は激減の一途を辿るとオジサンは感じています。

それより、ライブ盤を発売した方がよほど経費的に優位になる事は間違いありません。先日YouTubeヒラリー・ハーンの演奏するモーツァルトのVn協奏曲を視聴しましたが、非常に素晴らしい演奏で感激しました。

しかし、もしスタジオ録音でハーンの演奏するモーツァルトのVn協奏曲が発売された時、果たしてオジサンはそれを買うか・・・と自分に問うた時、オジサンはおそらく買わないだろうと言う結論に達しました。

なぜなら、オジサンの手元には既にグリュミオー(Vn)が演奏したレコード(旧録音・MONO)があり、ハーンの演奏は確かに素晴らしいと思いますが、グリュミオーの旧録音を超えているとは感じないからです。

企画もの

各社のレコード(CD)カタログや、通信販売サイトを眺めていると「えっ、こんな人が、この曲を・・・」と思うような盤を目にする事が有ります。

恐らくレコード会社の「企画もの」なのでしょうが、ちょっと考えられない、ミスマッチな楽曲を録音している場合が有ります。先日お亡くなりになった野村監督の弁を借りるなら「固定観念は悪」と言う事になるのでしょうが、どう考えても「これは無いでしょう」と言うモノがレコード(CD)には有ります。

 

さて、愚痴交じりの更新となってしまいましたが、オジサンとレコードの付き合いはまだまだ続きそうです。

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さぁて、今夜もレコードでも聴いて、明日の為にリフレッシュしましょう。今夜は何を聴こうかなぁ・・・。