ニューヨークの話を少しだけ

皆さんは海外旅行は好きですか?オジサンは大好きです。今日はオジサンが大好きなニューヨークの話を少しだけ書きます。

こんにちは、オジサンです。

オジサンは1980年代、何回かニューヨークの街を訪れた事があります。最初に行ったのが何時の事だったか記憶が定かでは有りませんが、1980年代の初め頃だったと思います。その時は仕事で行ったのですが、ニューヨークとサンフランシスコへ2週間行っていました。

初めてのニューヨーク

初めてニューヨークへ訪れた時の印象は「すげぇ!」の一言でした。JFK空港からクイーンズ・ミッドタウン・トンネルを経てマンハッタンへ入ったのですが、入ったのが夕方だったので、トンネルを抜けた時、正面から当たる西日に照らされたマンハッタンのビル群が綺麗でした。

トンネルを抜けてすぐ、右側に見えたのはパンナムビルでした。

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ウィキペディアより拝借しました。

当時既にメットライフビルに名称が変更されていたかどうか記憶が定かでは有りませんが、このビルを見た時は全身に鳥肌が立ちました。

オジサンが子供の頃は、アメリカへの憧れが強い時代で、「いつかはアメリカ人の様な生活がしたい」と日本中の人が思っていたと思います。その時代、アメリカの象徴と言えば「パンナム航空」であり「パンナムビル」でした。このビルの映像は子供時代にTV(白黒)でも見ていたと思いますが、記憶が定かでは有りません。

「ルーシーおばさん」「馬がしゃべる」等、アメリカ製のTV番組が放送され、文字通りTVに噛り付いてみていた子供時代に憧れたビルを目の前にして、本当に感激してしまいました。(実はこの時オジサンは泣いていた・・)

マンハッタンの印象

マンハッタンの最初の印象と言えば・・・空気が汚い、暑いでした。最初にニューヨークを訪れた時に宿泊したのがブロードウエイに有った「ノボテルホテル」で、ホテルの前までバスで送って頂き、初めてマンハッタンの地を踏んだ時の印象です。

ホテル到着後少し休んでから自由時間となりましたので、ホテルの近くをウロウロした事を良く覚えています。その時最も印象に残ったのが「ラジオシティ・ミュージックホール」の建物でした。

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これもウィキペディアから拝借しました。

6番街50丁目の角に立つラジオシティまで、徒歩で15分位だったと思いますが、外は既に薄暗く、身体の大きな人達が行き交う街は「恐ろしさ」まで感じたものでした。

街にはイエローキャブが大量に走り、いつもどこかでサイレンが鳴り響いていた印象が有ります。

暴走イエローキャブ

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これは最近の写真ですから、イエローキャブも綺麗な状態ですが、当時は結構潰れた様なイエローキャブも多く見掛けました。

何度目に行った時か忘れてしまいましたが、ヴィレッジ辺りからその時泊まっていたホテル(ミッドタウン)までタクシーに乗った時、それはそれは怖い思いをしました。運転手は歳の頃なら30代後半位でしょうか(外人さんの年齢は分かり難いですが)、乗車したとたんに急発進し、運転席側の窓を全開にして左手を突出し、しかも左手の中指を立てる例の仕草でマンハッタンを疾走し始めました。時速は100Km以上出ていたと思います。左手は窓の外に有るにも関わらず、クラクションは鳴らしっぱなし、外に向かって怒鳴り散らしっぱなしでした。

ご存知の方も多いと思いますが、マンハッタンの道路は意外に波打っています。ビレッジからミッドタウン方面へは上り坂になっており、車体は結構揺れます。オジサンは舌を咬まないよう口を結んでただひたすら事故の無いように祈っていました。

FIGARO CAFE

当時オジサンは、ニューヨークへ行くとヴィレッジ辺りで時間を過ごす事が多く、その時一番お気に入りだったのが「FIGARO CAFE」でした。今は閉店してしまった様ですが、Bleeker stとMacdougal stの角に有ったお店です。

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ストリートビューで確認するとビルもお店も新しくなった様で、当時の面影は残っていません。

オジサンはこのFIGARO CAFEの「CAFE FIGARO」と言う飲み物が大好きでした。珈琲にチョコレートを混ぜたモノだったと思いますが、非常に甘くて美味いと感じました。今では日本でもこの様な飲み物は沢山ありますが、当時の日本にはこの様な飲み物は少なかったと思います(スターバックも無い時代の話です)。

或る時の夕方、このFIGARO CAFEの外席でCAFE FIGAROを飲んでいると、ホームレスのオジサンが近付いて来て、「タバコを貰えないか」とオジサンに声を掛けました。当時はまだ喫煙に対しておおらかでした(それでも日本よりは肩身が狭かった)ので、CAFEでタバコが吸える所も結構ありました。

オジサンは持っていたタバコ(10本位入っていた)とマッチをホームレスのオジサンに渡しました。特にホームレスのオジサンが怖かったとか、可哀そうに思ったという事ではなく、何となくそうしただけです。

するとオジサンはポケットをまさぐり、「これはラッキーコインだ」と言いつつ、オジサンの手にコインを握らせてくれました。そのコインはサンフランシスコのケーブルカーのおつりとしてもらえる1ドル硬貨だったのです。

オジサンがそれに気づいた時、既にホームレスのオジサンは立ち去った後でしたが、今でもオジサンはこのコインを「ラッキーコイン」と信じて財布の中に入れています。

John's Pizzeria

FIGARO CAFEの話しをしたら、「John's Pizzeria」の話もしておかないと片手落ちの様な気がします。

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FIGARO CAFEと同じBleeker stに有った(今も有ると思う)ピザのお店です。オジサンが2回目にニューヨークに行った時、このお店でピザを食べました。ピザは本当に一般的な食べ物ですので、ニューヨークのいたるところでピザを食べる事が出来ます。

オジサンが初めて店の中で食べたのがこのJohn'sのピザでした。

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メニューを見てもどんなモノが出て来るか分かりませんので、適当に頼んでみたら、こんなのが出てきてしまいました。オジサンは一人旅ですから、これほど大量のピザを食べ尽くすのは不可能・・・と思いきや、すっかり完食してしまいました。

写真のピザはオジサンがやっつけたモノでは有りません。オジサンがやっつけたのはもっと生地が薄いモノでした。しかし、しっかり2枚出て来たのです。

店の人も「食えねぇんじゃないの?」と一言言ってくれれば良かったのに・・・この後1ヶ月はピザの顔も見たくなくなったのは当然の話です。

今日はこの辺りでおしまいにしておきますが、ニューヨーク話はまだまだ結構あります。見ず知らずの黒人さんの家に遊びに行った話し、42丁目で薬の売人に声を掛けられた話し、深夜3時に黒人3人組に囲まれた話し、ヴィレッジのティンバーランドショップで日本語教室をやった話し等々、思い出すままに綴ってみたいと思います。

ニューヨークは面白い!