ニューヨークの話を少しだけ

皆さんは海外旅行は好きですか?オジサンは大好きです。今日はオジサンが大好きなニューヨークの話を少しだけ書きます。

こんにちは、オジサンです。

オジサンは1980年代、何回かニューヨークの街を訪れた事があります。最初に行ったのが何時の事だったか記憶が定かでは有りませんが、1980年代の初め頃だったと思います。その時は仕事で行ったのですが、ニューヨークとサンフランシスコへ2週間行っていました。

初めてのニューヨーク

初めてニューヨークへ訪れた時の印象は「すげぇ!」の一言でした。JFK空港からクイーンズ・ミッドタウン・トンネルを経てマンハッタンへ入ったのですが、入ったのが夕方だったので、トンネルを抜けた時、正面から当たる西日に照らされたマンハッタンのビル群が綺麗でした。

トンネルを抜けてすぐ、右側に見えたのはパンナムビルでした。

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ウィキペディアより拝借しました。

当時既にメットライフビルに名称が変更されていたかどうか記憶が定かでは有りませんが、このビルを見た時は全身に鳥肌が立ちました。

オジサンが子供の頃は、アメリカへの憧れが強い時代で、「いつかはアメリカ人の様な生活がしたい」と日本中の人が思っていたと思います。その時代、アメリカの象徴と言えば「パンナム航空」であり「パンナムビル」でした。このビルの映像は子供時代にTV(白黒)でも見ていたと思いますが、記憶が定かでは有りません。

「ルーシーおばさん」「馬がしゃべる」等、アメリカ製のTV番組が放送され、文字通りTVに噛り付いてみていた子供時代に憧れたビルを目の前にして、本当に感激してしまいました。(実はこの時オジサンは泣いていた・・)

マンハッタンの印象

マンハッタンの最初の印象と言えば・・・空気が汚い、暑いでした。最初にニューヨークを訪れた時に宿泊したのがブロードウエイに有った「ノボテルホテル」で、ホテルの前までバスで送って頂き、初めてマンハッタンの地を踏んだ時の印象です。

ホテル到着後少し休んでから自由時間となりましたので、ホテルの近くをウロウロした事を良く覚えています。その時最も印象に残ったのが「ラジオシティ・ミュージックホール」の建物でした。

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これもウィキペディアから拝借しました。

6番街50丁目の角に立つラジオシティまで、徒歩で15分位だったと思いますが、外は既に薄暗く、身体の大きな人達が行き交う街は「恐ろしさ」まで感じたものでした。

街にはイエローキャブが大量に走り、いつもどこかでサイレンが鳴り響いていた印象が有ります。

暴走イエローキャブ

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これは最近の写真ですから、イエローキャブも綺麗な状態ですが、当時は結構潰れた様なイエローキャブも多く見掛けました。

何度目に行った時か忘れてしまいましたが、ヴィレッジ辺りからその時泊まっていたホテル(ミッドタウン)までタクシーに乗った時、それはそれは怖い思いをしました。運転手は歳の頃なら30代後半位でしょうか(外人さんの年齢は分かり難いですが)、乗車したとたんに急発進し、運転席側の窓を全開にして左手を突出し、しかも左手の中指を立てる例の仕草でマンハッタンを疾走し始めました。時速は100Km以上出ていたと思います。左手は窓の外に有るにも関わらず、クラクションは鳴らしっぱなし、外に向かって怒鳴り散らしっぱなしでした。

ご存知の方も多いと思いますが、マンハッタンの道路は意外に波打っています。ビレッジからミッドタウン方面へは上り坂になっており、車体は結構揺れます。オジサンは舌を咬まないよう口を結んでただひたすら事故の無いように祈っていました。

FIGARO CAFE

当時オジサンは、ニューヨークへ行くとヴィレッジ辺りで時間を過ごす事が多く、その時一番お気に入りだったのが「FIGARO CAFE」でした。今は閉店してしまった様ですが、Bleeker stとMacdougal stの角に有ったお店です。

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ストリートビューで確認するとビルもお店も新しくなった様で、当時の面影は残っていません。

オジサンはこのFIGARO CAFEの「CAFE FIGARO」と言う飲み物が大好きでした。珈琲にチョコレートを混ぜたモノだったと思いますが、非常に甘くて美味いと感じました。今では日本でもこの様な飲み物は沢山ありますが、当時の日本にはこの様な飲み物は少なかったと思います(スターバックも無い時代の話です)。

或る時の夕方、このFIGARO CAFEの外席でCAFE FIGAROを飲んでいると、ホームレスのオジサンが近付いて来て、「タバコを貰えないか」とオジサンに声を掛けました。当時はまだ喫煙に対しておおらかでした(それでも日本よりは肩身が狭かった)ので、CAFEでタバコが吸える所も結構ありました。

オジサンは持っていたタバコ(10本位入っていた)とマッチをホームレスのオジサンに渡しました。特にホームレスのオジサンが怖かったとか、可哀そうに思ったという事ではなく、何となくそうしただけです。

するとオジサンはポケットをまさぐり、「これはラッキーコインだ」と言いつつ、オジサンの手にコインを握らせてくれました。そのコインはサンフランシスコのケーブルカーのおつりとしてもらえる1ドル硬貨だったのです。

オジサンがそれに気づいた時、既にホームレスのオジサンは立ち去った後でしたが、今でもオジサンはこのコインを「ラッキーコイン」と信じて財布の中に入れています。

John's Pizzeria

FIGARO CAFEの話しをしたら、「John's Pizzeria」の話もしておかないと片手落ちの様な気がします。

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FIGARO CAFEと同じBleeker stに有った(今も有ると思う)ピザのお店です。オジサンが2回目にニューヨークに行った時、このお店でピザを食べました。ピザは本当に一般的な食べ物ですので、ニューヨークのいたるところでピザを食べる事が出来ます。

オジサンが初めて店の中で食べたのがこのJohn'sのピザでした。

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メニューを見てもどんなモノが出て来るか分かりませんので、適当に頼んでみたら、こんなのが出てきてしまいました。オジサンは一人旅ですから、これほど大量のピザを食べ尽くすのは不可能・・・と思いきや、すっかり完食してしまいました。

写真のピザはオジサンがやっつけたモノでは有りません。オジサンがやっつけたのはもっと生地が薄いモノでした。しかし、しっかり2枚出て来たのです。

店の人も「食えねぇんじゃないの?」と一言言ってくれれば良かったのに・・・この後1ヶ月はピザの顔も見たくなくなったのは当然の話です。

今日はこの辺りでおしまいにしておきますが、ニューヨーク話はまだまだ結構あります。見ず知らずの黒人さんの家に遊びに行った話し、42丁目で薬の売人に声を掛けられた話し、深夜3時に黒人3人組に囲まれた話し、ヴィレッジのティンバーランドショップで日本語教室をやった話し等々、思い出すままに綴ってみたいと思います。

ニューヨークは面白い!

閑話休題-Ⅲ

今週は日大のアメフト部の話題で巷はいっぱいでした。オジサンもニュースやネットで記事を読みましたが、オジサンはコメントする立場にありません。しかし、宮川選手は良く多数の報道陣の前に出てきて、よく話をしてくれたと思います。勇気ある行動でした・・・。

こんばんは、オジサンです。

今週は火曜日に東京、昨日金曜日はオジサンが住む県の県庁所在地に行って来ました。週に二回電車に乗ると、なんだか腹の中を掻き回されているようで、腹が減っているのかいないのか、分からなくなります。

先日も書いた通り、東京の変化の速さと地方都市の十年一日の如き変化の無さは痛切に感じていますが、地方が取り残されている事を感じているのはオジサンだけでは無いと思います。

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テッセン(クレマチス)の写真をもう少しアップします。夏本番を控えてテッセンの花も盛りを迎えているようですが、テッセンは四季を通じて花を咲かせる様ですねぇ。さすがに冬の花は少ない様ですが、春~秋まで色々な花が目を楽しませてくれるようです。

今日もいつも行く公園手前でテッセンの花を撮って来ました。今日のレンズはPENTAX 28㎜/f3.5です。オジサンお気に入りのレンズの一つですが、いまいち寄れないところが少し不満です。

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今日はテッセンの蔓に触ってみました。確かにその名の由来となった通り、固く鉄色をしていました。オジサン的には紫色のテッセンがお気に入りです。

昨年、流行語大賞に「インスタ映え」が選ばれました。スマホの普及によって誰でも手軽に日常を撮る事が出来るようになり、SNSも一般的になり、誰でも自分が撮った写真を多くの人と共有できるようになっています。

「カメラ女子」なんて言葉流行ったのは何時頃からだったでしょう?オジサンが若い頃は「カメラ小僧」と言う言葉が有りました。小型軽量のカメラ(と言ってもフイルム)が普及し、小僧でも使えるカメラが増えた事が理由だと思います。

確かに、今どきどこかへ食事に行っても、喫茶店に入っても、観光地に行っても、首からカメラを提げたり、片手にスマホを持って写真を撮っている女性を多く見るようになりました。中には本格的な一眼レフを持っている女性も見掛けるようになりましたねぇ。

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写真は昔、「オヤジの世界」でした。確かにさっき書いた様に「カメラ小僧」もいましたが、大概は親父がカメラを趣味にしているご子息で、「小僧」なんて言ってはいけない様な子供が多かったと思います。

カメラがオヤジの趣味だった理由は、「金が掛かる」事が大きな理由の一つだったのではないでしょうか?カメラ本体、レンズ、フイルム・現像代等々、フイルム時代のカメラ趣味は何かと金が掛かり、オジサンが一時期遠ざかっていたのもその辺りが理由でした。

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その点デジタルは良いですねぇ。出始めた頃は粒子が荒く、引き伸ばすと見られたものではない程でしたが、今時のカメラは性能も上がり、よほどまずい機種でない限り引き伸ばしにも耐えられるようになりました。

オジサンがブログに載せている写真は、Jpeg撮って出しばかりですが、編集ソフトを使えばもう少し見られるようになるかもしれません。しかしオジサンのセンスで撮った写真を編集しても、元が元ですから・・・。

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さて、テッセンの写真、いかがだったでしょうか?

まぁオジサンが撮る写真ですから、大したモノは有りませんが、少しはテッセンの美しさが伝わればありがたいです。

 

先日の中期予報では、今年の梅雨入りは例年より早く、夏は猛暑になるとのことでした。今年は桜も、藤も早く、梅雨入りも早いとは・・・。

何となく、ここ数年感じる事なのですが、季節が前倒しになっているような気がします。オジサンが子供の頃、最も寒かったのは1~2月中旬でしたが、今は12月中旬~1月末頃が一番寒い様な気がしますが、皆さんいかがお感じでしょうか?

オジサン・・・東京に現る

今日は5月らしい、爽やかな暑さでした。

こんばんは、オジサンです。

今日は東京へ行って来ました。東京は爽やかな5月らしい天気で、快晴の青空が気持ち良かったです。

オジサンは以前、仕事で東京に勤めていたことが有りました。もう、20年以上前の事ですから、記憶もだんだん薄れて来ていますが、その後も東京へは月に数回出張で行く事があり、変わりゆく東京の街の一部を眺めて来ました。

東京駅前(丸の内)

東京駅丸の内側の象徴と言えば、「丸ビル」がオジサンの頭の中には初めに浮かびます。それと東京中央郵便局の丸く、ちょっと変わった(モダンな)感じのビルも好きでした。

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今は新しいビルが立ち並び、昔の丸の内の雰囲気は随分変わってしまいました。昔はブランドショップなんて考えられなかったのですが、今はブランドショップがテナントとして入り、オフィスビルと言うより商業ビルの様な雰囲気さえ漂っているように感じるのはオジサンだけでしょうか?

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旧東京中央郵便局は「KITTE」と言う名前の商業ビルに姿を変えてしまいました。それでも、旧東京中央郵便局時代の建物をそのまま生かすデザインにしたのは良かったと思います。中は非常に近代的な造りになっていて、オジサンが好きなショップも幾つか入っていますので、東京に行くと「KITTE」で時間を過ごします。

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バスの中から撮ったので、角がケラレていますがご容赦ください。

東京フォーラームの交差点、東京フォーラムと反対側の風景です。近代的なビルの前に古式ゆかしい雰囲気のビルが建っていますが、この景色も東京(都会)ならではの様な気がします。

 

銀座(数寄屋橋

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銀座に出現した新しい顔「TOKYU PLAZA」です。建設中からこの場所は通った事が有りますので、今更驚きはしませんが、随分威圧的な物を建てたものだと思います。

銀座も回転寿司が出来たり、確か100円ショップも出来ていたと思います。これも時代の流れですから致し方なしと思いますが、どうも銀座と言うブランドが薄れていくようで寂しいですねぇ。「いつか金が出来たら、銀座で飯を食いてぇ」と思っていた頃の銀座は雲の上の存在でした。(今でもほとんど変わりませんが・・・)

東京はそれぞれの街がそれぞれの顔を持っているとオジサンは思っていました。渋谷には渋谷の、新宿には新宿の、池袋には池袋の、そして銀座には銀座の匂いと言うか、そこに有ってはならないモノがあり、それはソコにはなかった様な気がします。

オジサンの単純な勘違いかも知れませんが、新宿でしか手に入らないモノ、池袋でしか手に入らないモノ、銀座でしか手に入らないモノが有った様な気がします。

まぁ街も発展し、若返るわけですから、いつまでも変わらないなんて事はあり得ない事だと思いますが、あまりに早い変化にオジサンはついて行けましぇん・・・・。

変わらないモノ

大きく変化を遂げる街の中にも、長い時間変わらないモノもありますね。

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これは今日の写真では有りませんが、浅草の「大黒屋」さんです。オジサンはココの真っ黒な天丼が好きで、東京へ行った時、時間と方角が合えば「大黒屋」さんで天丼を食べます。今日は残念ながら方角違いで行けませんでした。

浅草、上野方面にはまだまだ変わらないモノが沢山残っていると思います。勿論変わってしまったモノは変わらないモノより多いと思いますが、それでも銀座や新宿、渋谷程変化はしていないと思います。こう言うと「そんなこたぁねぇ。上野だって変化してんだ!」とアメ横商店街の威勢のいいオジサンに江戸弁で叱られそうですが・・・。

変わるのが良いのか、変わらないのが良いのか、オジサンには判断できませんが、街には街の匂いと言うか、雰囲気が有った方が良いと思います。

もう10年以上前の事ですが、仕事で原宿へ行き、帰りに原宿から渋谷まで歩いた事が有ります。原宿駅前から明治神宮横を通ってNHK放送センター横から東急ハンズに寄って渋谷駅の方へ歩きましたが、渋谷駅が近付くにつれ、「こりゃいかん、ついて行けん」と感じました。若者の中に居るオジサン自身に違和感を感じてしまったのです。

オジサンが今住んでいる町の様に、十年一日のごとく変化しないのも「なんだかなぁ」と思ってしまいますが、オジサンの居場所がなくなるのも困りものです・・・。

さて次はいつ「大黒屋」の天丼が食べらるか・・・「井泉」のトンカツも捨てがたい、「今半」のすき焼きも「染太郎」のお好み焼きも食た~い!!!

食いしん坊のオジサンでした。

 

 

 

夏の始まり

今日は朝の内のひどい雨も上がり、午前中から強い日差しとムシムシ感で夏の到来を思わせるような一日でした。

こんにちは、オジサンです。

今日も蒸し暑い中、午前中はテニスをやって来ましたが、チームの皆もさすがに今日の蒸し暑さには閉口した様で、練習後半は動きに切れが有りませんでした。

今日はボレー(ボールをバウンドさせずに打つショット)の練習を中心にやりましたが、ボレーは相手の打球の勢いを利用して打つので、覚えれば楽なショットなのですが、なかなかラケットの真ん中に当てるのが難しいのです。その理由は、相手との距離が縮まり、相手が打ってから自分の所にボールが来るまでの時間が短いため、判断と準備の時間が短くなってしまうからです。

「じゃぁ、ボレーなんてやらないで、普通に打っていればいいじゃん」と思うでしょうが、ダブルスの場合、ボレーで点を取らないとなかなか勝つ事が出来ません。「ネット(プレー)を制する者はダブルスを制す」と言われるくらい、ボレーを中心としたネットプレーはダブルスの得点源なのです。

夏の始まり・・・

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これはいつも行く公園の手前のお店の前で咲いていた「ガクアジサイ」(と奥さんが教えてくれた)です。アジサイと言えば梅雨時の花と思っていましたが、この時期に咲くアジサイも有るんですねぇ。丁度見頃の感じで、お店の前には沢山植えられていました。

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銀杏の葉っぱも子供から若者に成長していました。銀杏の葉っぱって、芽を出した時から銀杏の格好をしているって知っていました?(知らねぇのはお前だけだよ!)

ついこないだ「新緑」と言っていたのに、もう本格的な緑に変身していて、なんだか自分だけが取り残されているような感じがします。もう、夏の始まりなんでしょうか?

クレマチス

クレマチス・・・日本名は「鉄線・鉄仙(テッセン)」とか「風車」とか呼ばれているようです。テッセンと言えば茶道なんかで使われる花のイメージが有る(博識なオジサン!)のですが、実際の花と茶道のイメージが結び付かないのはオジサンだけでしょうか?

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丁度今朝の雨を花びらの上に乗せ、奇麗に撮れたと思います。今日のレンズがはRIKENON 50mm/f2です。一時期「神レンズ」とか呼ばれた事もあるレンズの様で、発色が奇麗です。

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クレマチスは種類が多い様で、Gで調べたところ、世界にはどうやら200種類を超える種類が有るようです。花の形や色も様々で、この紫なんて本当に素晴らしい色をしていました。オジサンの写真でその色が伝わるか心配ですが、オジサン的には結構良く撮れたと思います。(自慢すんじゃねぇ!)

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これなんか、まさしく「風車」の名にふさわしい花の形だと思いませんか?確かに、竹の花生けにこの花が刺さっていたら、結構雰囲気あるかも知れません。

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これはクレマチスでは無いと思いますが、クレマチスの近くで咲いていました。オジサンに名前は分かりませんが、こじんまりとした花で、オジサン的には結構好きな花です。

まだ本格的な夏には少し時間があると思いますが、色々な所で夏の匂いを感じます。

夏に向かって、夏の暑さに負けない身体を作り上げていく必要が有りますが、この歳になるとなかなか、身体が反応してくれません。オジサン的に一番困るのは汗をかかなくなってしまった事です。勿論全くかかない訳では有りませんが、若い頃に比べれば汗の量は格段に少なくなったと感じます。

若い頃、夏の暑い日に1時間も練習すれば、帽子のひさしの先端から汗が雫になって落ちるほどでしたが、50歳を過ぎてからそのような事が無くなりました。動く量も減っているとは思いますが、体温調整に欠かせない汗が出難いとなると、熱中症が気になります。(オジサンが子供の頃、熱中症と花粉症は聞いたことが無かった)

皆さんもこれからのシーズン、熱中症には十分お気を付けください。

 

母の日

先日5月13日は「母の日」でしたが、皆さんどの様にお過ごしになったでしょうか?

こんばんは、オジサンです。

オジサンちのお袋・・・

オジサンちのお袋は昭和11年生まれですから、今年の誕生日で齢82歳になります。昨年暮れまで八百屋で売り子をしていましたので、いまだに非常に元気です。地元テレビ局の夕方の情報番組にも何度か登場した事があり、選挙の応援演説なんかも得意ですから、言ってみれば「出たがり屋」です。

若い頃は日本舞踊なんて、今の姿からは想像できない様な事をやっていたと本人は言い張るのですが、オジサンには到底信じられません。(確かに写真は有るが・・・)

そんなお袋ですが、オジサンは生まれて60年以上、いまだお袋に怒られた事がありません(親父には毎日の様に怒られていましたが・・・)。オジサンが小学生の頃、学校で悪さばかりするものですから、お袋は三日に空けず学校に呼び出され、その度に先生方に頭を下げてくれていました。学校に呼び出された帰り道、近所の駄菓子屋でおでんを一緒に食べた事を思い出しますが、或る日ぽつりと「もっと上手くやりな」とつぶやいた事を良く覚えています。お袋に言わせれば「あんたのお父さんより、よっぽどまし」という事らしく、親父と2歳違いのお袋は親父の小学校時代の悪さを良く知っていたようです。(親父の悪さは近所のオジサンからも良く聞かされましたが、確かにひどい!)

 

母の日・・・

皆さんは先日の母の日、何かしたでしょうか?例えばプレゼントをするとか、飯を一緒に食べるとか・・・そんな具体的な事ではなく、遠く離れている方なら電話で「ありがとう」の一言を言うとかです。

偉そうにこんな事を言うオジサンですが、オジサンはつい最近まで、母の日に何かをしたという記憶が有りません(記憶喪失か?)。

どれ程前になるか記憶が定かでは有りませんが、何年か前から何かをプレゼントしたり、一緒に飯を食べたりするようになりました。どうやら奥さん、母の日にはオジサンちのお袋に毎年パジャマを、父の日には親父にパジャマをプレゼントしていたようですが、オジサンは全く知りませんでした。何年か前、お袋に聞いて初めて知りました。(やばくない?)

今年はお袋の好きなうなぎ弁当を買って一緒に食べました。以前は外に食事に出る事も多かったのですが、ここ2~3年は親父の足腰が弱り、外食もままならくなってしまいましたので、実家で食べるようにしています。

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これが今年買ったうなぎ弁当です。地元では結構有名なうなぎ屋さんの弁当なので味は美味です。

話しは違いますが、最近うなぎは高くなりましたねぇ。東京辺りの有名うなぎ店ではうな重が1万円近くするし、オジサンの住む地方でも平気で5000円位します。どうしてこんなに高くなってしまったのでしょう?稚魚であるシラスウナギの漁獲高が激減しているのが原因の様ですが、やはり環境の変化がシラスウナギの漁獲高を減らしているのでしょうか?

オジサンが買った弁当の値段?・・・それはご想像にお任せします。オジサンは貧乏人ですから、それほど高い金は出せません。

子供は・・・子供

親にとって・・・特に母親にとって、子供はいつまでたっても「子供は、子供」の様です。オジサンも一人娘が居ますが、その気持ちは最近になって良く分かる様になりました。

「親は無くとも子は育つ」の言葉通り、子供は自分一人で大きくなった様な顔をしていますが、親の切なさ、辛さはやはり親になってみないと分からないものなのかも知れません。

オジサンはいつまでも「お袋の子供」であり続けようと思っています。(別にマザコンでは有りませんので、誤解の無いようお願いします)

 

阪神淡路大震災東日本大震災等の災害、或いは戦争などで子供を亡くした母親(両親)の気持ちは実際その事に合わなければ誰にも分からないと思います。

大切な子供を災害や戦争で亡くされた方の気持ちの本当の部分はオジサンなんかには到底理解できないと思いますが、少しでも心の傷が癒される事がある様祈っています。

良い音源とは・・・

先日再生音楽におけるソースの重要性に付いて書きましたが、もう少し書き足して置こうと思います。

こんばんは、オジサンです。

やはりお好み焼きも、とんかつも、ソースが決め手・・・って、そういうはなしじゃないだろ!いい加減にしろ!

クラシック音楽レコードにおける重要ポイント

オジサンはオーディオをいじり始めてからほぼクラシック音楽一辺倒になってしまいました。それまでは吉田拓郎さんのフォークソングに始まり、カントリー&ウエスタンもかなり聴いていたし、カーペンターズサイモン&ガーファンクルも聴き込んでいました。勿論ビートルズも・・・。そんなオジサンがなぜクラシック音楽一辺倒に変身(偏心)してしまったか・・・と言う話は後日書きますが、クラシック音楽には他のジャンルにはない事があります。

それは同じ楽曲を多くの演奏家が演奏していると言う事です。勿論JazzやPopsの中にも多くのミュージシャンが演奏した楽曲は多々ありますが、クラシックほど同曲、異演奏が世の中に氾濫しているジャンルもそれほどないでしょう。(Jazzスタンダードはかなり多いかも・・・)

そんな数ある楽曲や演奏の中から、どのレコードを選ぶかは非常に重要になるとオジサンは思っています。

前にも書きましたが、オジサンはMozartの「魔笛」のアナログ盤全蒐集をライフワークに掲げ、これまでに13セットを入手して来ましたが、時々別のオジサンが自分の中に現れて「同じ曲をこんなに集めて・・・どうすんだよ!」と言います。

しかし、それぞれの演奏にそれぞれの良さがある事は確かで、或る盤では夜の女王の出来が素晴らしかったり、また或る盤ではザラストロの出来が良かったりします。全ての歌手の出来が良ければその盤1セットで済むのでしょうが、なかなかそうはいきません。そんなこんなで13セットも集めてしまったのですが・・・。

第一は楽曲?

オジサンがレコードを買う時、一番大切にしているのは楽曲です。

これは当たり前の話しなのですが、この当たり前がなかなか決まりません。オジサンも今でこそBachとMozartしか聴かないと言っても過言ではありませんが、聴き始めた当初はそれこそグレゴリオ聖歌からワグナーまで幅広く聴きまくっていました。

その中から自分の好きな作曲家が出現し、その好きな作曲家の楽曲レコードを買う様になりました。それがオジサンの場合はたまたまBachとMozartだったという事です。

第二は演奏?

好きな作曲家が決まれば、次は好きな演奏家探しが重要になると思いますが、オーディオマニアの中には「第一に音質」となる方も少なくない様です。そう言う方は器楽曲や室内楽よりは編成の大きな交響曲交響詩の様な楽曲を選ぶ様です。一時期(2001年宇宙の旅と言う映画が流行った頃)「ツァラツゥストラはかく語りき」(リヒャルトシュトラウス作曲)が日本で大ヒットした事がありました。確かに、オーディオ的に素晴らしい楽曲ですから、この曲をオーディオのチェック用に利用した方も多かったでしょう。

さて、話を演奏家選びに戻します。

と言っておきながら話を飛ばしますが、今まで一番多くのレコード(枚数ではなくアイテムとして)が発売された楽曲ってなんなんでしょうか?(まぁそんな話し、今はいいか)

オジサンはどちらかと言えば、演奏は遅めの演奏が好きです。先日書いたKripsも比較的遅い方だと思っていますし、ズスケも速い方ではありません(スズケは中庸かなぁ)。

オジサンが一時期もっとも心酔したのはグレン・グールドです。「グールドの演奏が遅いか?」と問われれば「うっ」と答えに窮してしまいますが、あの「間」とでも表現したら良いのか(クラシック音楽演奏に置いて間は有るのか?)、絶妙な無音部にやられてしまいました。

指揮者で好きなのは、クリップスクレンペラー、ビーチャム辺りが好きです。器楽奏者ではズスケ(Vn)、グールド(P)、プリンツ(Cl)、カチェン(P)、カンポーリ(Vn)、マ(Vc)、ヘンデル(Vn)辺りが直ぐに名前が出てきます。

これらの演奏家が全て遅い演奏をするかと言えば、必ずしもそうではありませんが、他の要素も含めこれらの演奏家は良く聴きます。勿論これだけではありませんが、ここに名前を挙げた演奏家のレコードは頻繁にオジサンちのターンテーブルに乗ります。

第三は・・・?

第三に重要なのはなんでしょう?

音質?盤質?オジサンはジャケットの美しさが第三に来ます。意外に思われる方も多いと思いますが、これがオジサンにとっては意外に重要なのです。

クラシック(他のジャンルもそうかも)の場合、意外に多いのが演奏家の顔写真ジャケットです。しかしオジサンはこの顔写真シャッケトが嫌いです。どちらかと言えば文字だけの方がまだましだと思ってしまいます。

レコードの場合、他の方は知りませんが、意外にこのジャケットを楽しむ事がオジサンには有ります。マニアの間には「ジャケ買い」と言われる買い方も有ります。これはジャケットだけを見てレコードを買う事を指しますが、オジサンも結構この傾向が強いと思います。

顔写真ジャケットが主流になったのが何時の頃からか判然としませんが、1960~70年代初頭はそれほど多くなかったと思います。有名画家の絵画だったり、楽器をデザイン化した絵だったりしたと思います。Mozartやbachの場合、作曲家の肖像画がジャケットに使われる事も結構多い様に感じます。

音質は・・・?

勿論音質は重要な要素ですが、とりあえず名の通ったレーベルであればそれほど酷い音質のモノは無いと思います。中には「えっ、どうして?」と思う様な盤も有りますが、非常に希です。

オジサンが好きなレーベルは多々ありますが、有名どころではEMI、Decca辺り、ハンガリーのフンガロトン、スイスのクラビエス、仏のPathe、同じく仏のErato辺りも安定して良い音質の盤を出しているとオジサンは勝手に思っています。

独のオイロディスク、旧東独のエテルナ辺りも非常に音質は高いと思いますが、エテルナは時として盤質が著しく落ちる時が有るので注意が必要です。

日本盤の評価(オジサン的)

前にも少しだけ書きましたが、日本盤に対するオジサンの評価は「???」です。

海外では日本盤の評価は非常に高く、特に盤質とジャケットの作りの良さは確かにオジサンも認めるところです。しかし、肝心の音質となると「???」となってしまいます。

その原因に付いて、「日本へ来るマスター(録音されたテープ)は、オリジナルから見て孫、又はひ孫位になるから音質が劣化する」と以前レコードに詳しい方に聞いた事があります。

例えばドイツで録音された(オリジナルテープ)をコピーしたモノがアメリカのレコード会社に渡り、それを更にコピーしたモノが日本のレコード会社に来る・・・となればこれはオリジナルから見て孫テープにあたります。

アナログの場合、コピーを繰り返せば音質が劣化するのは周知の事実(デジタルの場合はそんなことは無い)ですから、孫テープから起こしたマスター(レコードのスタンプ)では、この元となったテープを超える音質は望めない事になります。

レコードの中には、何らかの処理をしてこの音質劣化を防ぐ処理をしたものも有りましたが、元が元ですから推して知るべしです。

その証拠に、日本で録音され、日本のレコードメーカーがオリジナルテープを持っているレコードの音質は非常に優れたモノが有ります。オジサンの家には、ジャンドロン(Vc)、岩崎淑子さん(P)のフォーレが有ります。これはビクターが日本で録音し、日本でプレスして発売したものですが、非常に優れた音質です。

この様に、日本盤の中にも優れた盤は存在しますが、押しなべて日本盤の音質は「???」のモノが多いのは残念な事です。オジサンが鳴らし切れていないだけかも知れませんが・・。

以前、ドイツに仕事で行った時「OPELに乗っている」(当時はアストラではなく、ビータだった)と言うと「あほか、お前!日本にはMAZDAが有るだろ!」と言われました。あのベンツやBMW、ポルシェを造っている国の人がそう言うのです・・。

日本製のモノは、日本国内より海外での評価の方が高いのかも知れません。焼き物然り、絵画然り、建築物然りです。カシオのGショックなんて、海外に行ったら「絶品」扱いですよねぇ。国内では「安物」扱いなのに・・・。

オジサンももう少し日本製を見直さなきゃいけないですかねぇ。

確かに日本の職人の造ったモノは良いモノが多い事はオジサンも認めますが・・・。

 

今日は写真なしの文章のみでした。大変失礼いたしました。

 

やっと晴れました

GWが終わるのを待っていたかの様に連日の雨、曇天でしたが、今日はやっと五月らしい天気でした。

こんばんは、オジサンです。

昨日、一昨日とオーディオ(音楽再生)の話しで、どうも頭の中が凝ってしまいましたので、今日は最近起こった事と、久しぶりに海を見て来たので、その話を書きます。

雀の子育て

もう3年程になりますが、隣の家(集合住宅)の電気メーターの箱の中で雀が子育てをするようになりました。3月の終り頃から枯草や枝を盛んに運んできて巣を作り、4月の初め頃(だと思う)、卵を産んで子育てを始めます。

ピヨピヨとかわいい声が聞こえて来るのは4月を中頃を過ぎてからだったと思いますが、それからが親鳥は大変ですねぇ。一日何回餌を運ぶか知りませんが、朝早くから日が落ちるまで、せっせと餌を運び続けていました。

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これが雀のお母さん(?)です。雄雌の見分けがオジサンにはできませんので、仮にお母さんとしておきます。お母さん雀の口に虫が咥えられているのが分かるでしょうか?

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もう少し分かりやすい写真もアップしておきます。

食欲旺盛な小雀の為に、日夜せっせと虫を取っては巣に運び続けていました。

小雀の巣立ち

毎日毎日餌を貰っていた小雀ですが、5月11日の朝、無事巣立ちをしました。朝からやたら声が聞こえるので、「猫でも・・・」と思って外へ出てみると、電気メータの上に3羽の雀が居ました。1羽は親雀だと思いますが、残りの2羽は鳴き方も違えば、足元もあまりしっかりしていません。「巣立ちかぁ」と思って見ていると、電気メーターから廊下の手摺に飛び移り、しばらくして北の方角へ3羽揃って飛んで行きました。無事巣立ちをしたようです。お父さん、お母さん、ご苦労様でした・・・。

久しぶりの海

今朝はテニスの練習が9時からだったので、久しぶりに海を見に行って来ました。

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波打ち際には先日海が荒れた影響で打ち上げられた流木(と言うよりはゴミ)がたくさんですが、海は穏やかで空も快晴でした。

オジサンが子供の頃、この海岸は魚が沢山釣れました。子供のオジサンでも竹の延べ竿(2m位)を持って、ひざの辺りまで入れば鱚(キス)が結構釣れ、夕飯のオカズくらいにはなりました。今は、本当なら鱚釣りの最盛期だと思うのですが、釣り人は数えるほどしかおらず、鱚を釣っている人は居ない様でした。20年位前までは、この時期「鱚釣り大会」もやっていたのですが・・・今は話も聞きません。これも地球温暖化の影響でしょうか?それとも鱚辺りに興味はなくなってしまったのでしょうか?オジサンは鱚をフライにしてもらうのが好きで、お袋にねだって作ってもらっていました。

そう言えば、明日は母の日・・・たまには親孝行でもしますか。夕飯を食いに行ってやる!

浜昼顔の花

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オジサンが子供の頃、この海岸には沢山の浜昼顔が有りました。

それこそピンクの絨毯を敷いたような光景だったのですが、今ではその姿を殆ど見掛けなくなってしまいました。全くなくなってしまった訳ではないのですが・・・。

海岸線は防波堤が整備され、災害(台風)には強くなったと思いますし、近くの公園も整備されて美しくなったと思いますが、いわゆる原風景が少なくなってしまったのは寂しい気もします。人間が便利になったり、安全になるのと引き換えに自然は無くなって行ってしまうのでしょうか・・・?

吉田拓郎さんの作った「イメージの詩」という曲の一節に「誰かが言ってたぜ、俺は人間として自然に生きてるんだと。自然に生きてるってわかるなんて、なんて不自然なんだろう」と言う部分が有ります。意味深ですねぇ。今の世の中、「自然保護をうたい文句にして、自然破壊をしている」(自然を檻の中に閉じ込めている)のではないでしょうか?

さてさて、愚痴はオジサンらしくないのでこの辺りで止めますが、何時までも美しい光景は残して頂きたいものです。オジサンには何もできませんが、少なくとも自然を壊すような行為だけはしない様心掛けたいものです。とは言っても、知らず知らずのうちに壊していて、オジサンだけが気付いていないだけかも知れませんが・・・。

 気を付けよっと!